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西風を防

 島めぐりの最初の日は三里ほど歩いて阿古(あこ)村という部落で一泊する予定だった。「タイメイ」さんは路々阿古村の娘たちの話をして聞かせた。ちょうど途中の伊豆村というところで大きい風呂敷で包んだ荷箱を背負(しょ)ってくる娘さんに会った。「タイメイ」さんは彼独特の気軽な何だかからみつくような馴れ馴れしい調子で「やあ」と言って、それから何か話しかけた。紺絣(こんがすり)を着たその娘さんは体(てい)よく挨拶して、路の傍の駄菓子屋へ寄った。阿古村にある菓子製造所の娘で、ああやって卸(おろ)して歩くんですよ、とのことだった。また、途中で三人の小娘が荷を背負って行くのに追いついたがこの娘たちは阿古村から専売局の出張所のある神着まで煙草の買入れに来たかえりなのだ。
 僕は朝方出がけに檜垣のいる出張所でこの娘たちを見たので覚えがあった。「タイメイ」さんは彼女たちの後姿を見かけると、きゅうに足をはやめた。そして、何かとからかいかけた。まだほんの十四五歳ぐらいの娘たちは顔を見合せて、紅くなって笑うばかりだ。僕は彼女たちがいくらか当惑しているのを見ると、「タイメイ」さんを娘たちから引きはなそうと思って、気づかれないように足を速めたので、間もなく娘たちは後になったが、「タイメイ」さんは時々うしろを振りかえっていたが、ふいにニヤニヤして僕の顔を見上げ、「阿古村というところは村の娘が宿屋へ遊びに来ますぜ」と言った。
 やがて、その辺は丘陵の皺が入り乱れて路は石ころだらけの、両側は雑草と雑木林で、その間を深く切りこんで下る急な坂路だが、きゅうに海の真上に出たかと思うほど切りたった崖縁の上を曲ったとき、前方にそれもすぐ眼の下にその阿古村が現われた。そこは島へ来て始めて見るやや平地らしい平地で、それも東側は高い崖なんだが、西方へ向って開けた土地に、ほとんど崖のつけ根から海ぎわまで、低い瓦屋根がぎっしりとつまって、それも強い西風を防ぐための石垣の間々に家々はまるで背をちぢめてかたまり合っているかのように見える。
 天気はよかったが、現に今も西風が吹いていて、それもそう強くはないのに、海から打ちつける浪のしぶきが、部落の縁の真黒い岩々の上をうすい煙のように匍(は)っているのが見えた。神着の部落とちがって、ここでは家々もそう頑丈(がんじょう)でなく、何か剥(む)き出しな荒々しい空気が部落の上を通っていた。大きい石で畳んだ路が、日に照らされて艶々(つやつや)して、何だか滑(すべ)っこい工合に町の中へ上っている。しばらくして、僕たちはその方へ降りて行った。

上手(かみて)

 引き返しにかかると、まともに面(おもて)を打つ風のきついのにびっくりした。でたらめに部落へ向けて秣畑の中を歩く。時々顔を上げてあたりを見ているうち、白い波頭のちらちらしている海のずっと向うに、山の上半分うすく雪を被(かぶ)っている島が眼に入った。それは大島だった。何だかひどく遠い。そして暗灰色の曇り空の中にちょっぴりした鮮かな雪の色は思いがけなく僕の心に錐(きり)のような痛みを感じさせた。ここからいうと、大島もその向うにあっていちような灰色の中にかくれてはいるが、東京のあるあたりは北方だ。あすこには今どんなことが起っているのだろう。あすこには僕の置き去りにしてきた生活がある。いろんなことが一時に胸の中に押し寄せてくる。だが、僕はここに来ている。ここにいる僕は向うに起ることとはいっしょになって生きてはいない、ここは何かしら別物だ。
 ちょうど部落の入口に来たとき、そこから路はやや急な坂になっているのだが、上手(かみて)から一人の着物の前をはだけてひき擦(ず)るように着た痩せた男が路いっぱいにふらりふらりと大股に左右に揺れて降りてくるのを見た。咄嗟(とっさ)に気狂いではないかという気がしたので、小わきによけて擦れちがおうとすると、その男はなんだか僕の行く方へ寄ってくる。そのまま二三尺の距離で二人とも立ちどまった。そのとき僕は始めて相手の顔を見た。痩せて尖(とが)った顔で、執拗(しつよう)に僕を小高いところから見下している眼つきには、風狂者によくある嶮(けわ)しさのうちに一脈滑稽じみたところがある。僕が相手の気心をはかりかねて立っていると、その男は立ちはだかったままやはり左右にゆるく揺れていたが、僕を文字どおり上から下までいくらか仕科(しぐさ)めいた様子で眺めて、
「君は誰だ」と、訊いた。

お〜

眠い

眠いぞ〜〜〜

感慨

 せっかくおいで下さいましたのに、何もおかまい出来ず、お気の毒に存じます。文学論も、もう、あきました。なんの事はない、他人の悪口を言うだけの事じゃありませんか。文学も、いやになりました。こんな言いかたは、どうでしょう。「かれは、文学がきらいな余りに文士になった。」
 本当ですよ。もともと戦いを好まぬ国民が、いまは忍ぶべからずと立ち上った時、こいつは強い。向うところ敵なしじゃないか。君たちも、も少し、文学ぎらいになったらどうだね。真に新しいものは、そんなところから生れて来るのですよ。
 まあ私の文学論は、それだけで、あとは、鳴かぬ蛍(ほたる)、沈黙の海軍というところです。
 どうも、せっかく遊びにおいで下さったのに、こんなに何も、あいそが無くては、私のほうでしょげてしまいます。お酒でもあるといいんだけど、二、三日前に配給されたお酒は、もう、その日のうちに飲んでしまって、まことに生憎(あいにく)でした。どこかへ飲みに出たいものですね。ところが、これも生憎で、あははは、――無いんだ。今月はお金を使いすぎて、蟄居(ちっきょ)の形なのです。本を売ってまで飲みたくはないし、まあ、がまんして、お茶でも飲んで、今夜これからどうして遊ぶか、ゆっくり考えてみましょうか。
 君は遊びに来たのでしょう? どこへ行っても軽蔑(けいべつ)されるし、懐中も心細いし、Dのところへでも行ったら、あるいは気が晴れるかも知れん、と思ってやって来たのでしょう? 光栄な事だ。そんなに、たよりにされて、何一つ期待に添わぬというのも、むごい話だ。
 よろしい。今夜は一つ、私のアルバムをお見せしましょう。面白い写真も、あるかも知れない。お客の接待にアルバムを出すというのは、こいつあ、よっぽど[#「よっぽど」は底本では「よっぼど」]情熱の無い証拠なのだ。いい加減にあしらって、ていよく追い帰そうとしている時に、この、アルバムというやつが出るものだ。注意し給え。怒っちゃいけない。私の場合は、そうじゃないんだ。今夜は、生憎お酒も無ければ、お金も無い。文学論も、いやだ。けれども君を、このままむなしく帰らせるのも心苦しくて、謂(い)わば、窮余の一策として、こんな貧弱なアルバムを持ち出したというわけだ。元来、私は、自分の写真などを、人に見せるのは、実に、いや味な事だと思っている。失敬な事だ。よほど親しい間柄の人にでもなければ、見せるものではない。男が、いいとしをして、みっともない。私は、どうも、写真そのものに、どだい興味がないのです。撮影する事にも、撮影される事にも、ちっとも興味がない。写真というものを、まるで信用していないのです。だから、自分の写真でも、ひとの写真でも、大事に保存しているというようなことは無い。たいてい、こんな、机の引出しなんかへ容(い)れっ放(ぱな)しにして置くので、大掃除や転居の度毎に少しずつ散逸(さんいつ)して、残っているのは、ごくわずかになってしまいました。先日、家内が、その残っているわずかな写真を整理して、こんなアルバムを作って、はじめは私も、大袈裟(おおげさ)な事をする、と言って不賛成だったのですが、でも、こうして出来上ったのを、ゆっくり見ているうちに、ちょっとした感慨も湧(わ)いて来ました。けれどもそれは、私ひとりに限られたひそかな感慨で、よその人が見たって、こんなもの、ちっとも面白くもなんとも無いかも知れません。今夜は、どうも、他に話題も無いし、せっかくおいで下さったのになんのおかまいも出来ず、これでは余り殺風景ですから、窮した揚句の果に、こんなものを持ち出したのですから、そこのところは貧者一燈の心意気にめんじて、面白くもないだろうけれど見てやって下さい。
 一つ、説明してあげましょうか。下手な紙芝居みたいになるかも知れませんが、笑わずに、まあ聞き給え。

疳高(かんだか)

僕は間(ま)の悪い微笑をした。だが、ある気まぐれが起ったので、
「君は誰だ」と、僕もおうむ返しに訊いた。相手はまたぐらりと揺れて、重ねて、
「君は誰だ」と繰りかえした。
「君が言わなきゃ、僕も言わないよ」
 僕はそう言いながら、自分が冗談でやっているのか、本気なのかわからない気持になった。
「いや、わるかった」と言って、頭をちょっと下げたかと思うと、すぐ、
「誰だ」と訊く。
「誰でもいい」
「何しに来た」
「遊びに来た」
「遊びに?――島へ遊びになんか来られちゃ困る」
 僕は思わず彼の顔をまじまじと見た。なるほどそうかもしれない。僕はいい加減に「遊びに来た」と答えたが、その男に叱られたように僕の心持なんかただの遊びにすぎないのかもしれぬ。
「いや、君は今度来た水産技師だろう」と、その男はきゅうに叫んだ。
「そうだろう。水産技師だろう」と、いきなり僕の手をつかんで、
「君、たのむ。島のためによろしくたのむ」
 と、もうすっかりそれにきめて、人なつこい微笑をうかべた。彼は明らかに酔っていた。
「うん、うん」
「そうか、たのむ。今夜遊びに来たまえ。すぐそこの家だからな」
 その男はきゅうにはなれて、ぴょこんとお辞儀をして、ふらつきながらすぐ下手(しもて)の汚い農家の庭へ入って行った。
 島の人で最初に僕に強い印象を与えたのはその酔払いであった。またほかに、「リュウさん」という人、「タイメイ」という人などに会った。僕は、島の人で学校時代に僕より二三年先輩で、一二回会ったくらいで顔もうろ覚えになっている檜垣(ひがき)をたよってきたんだが、そして着くなりそのまま檜垣の家に厄介(やっかい)になっていたが、檜垣の家は伊豆七島屈指(くっし)の海産物問屋で、父親がその方をやっていた。檜垣自身は専売局出張所の役人をやっていた。家のすぐ裏手に出張所の建物があって、檜垣はそこでいつも島の青年たちを集めて喋(しゃべ)ったりお茶をのんだりしていた。檜垣はむろんその中心なのだ。いろんな人がやってくる。近くのバタ製造所の技手、印半纒(しるしばんてん)を着た男、コール天のズボンをはいた男、などが通りがかりにひょっこり入ってきて、三十分も一時間も坐りこんで話してゆく。
「リュウさん」はその仲間の一人だが、しかし青年とは言えない。彼の息子二人のうち兄の方は無線電信の技手をやめて帰った男で、弟の方はこれも銀座の不二屋のボオイを七年もやっていたくらいで、息子二人も出張所へ来る仲間だが、父親の「リュウさん」もやはり仲間なのである。彼と息子たちとはほとんど似ていない。檜垣の話では、「リュウさんはあれで黒竜会の壮士だったんだ」という。しかしちっともそれらしくなくて、小柄で真黒で痩せて、ちょっと東京の裏店(うらだな)に住んでいる落ちぶれた骨董屋(こっとうや)というところだ。何かといえばうなずく癖がある。入ってくるとからそれをやる。「ウン、ウン、ウン」と聞えないくらいに言って、独特の微笑をして(そんなとき一皮の切れの長い眼がクシャクシャに小さくなる)その場にいる誰にもうなずいてみせる。自分が話す段になるともっと頻繁(ひんぱん)にやる。話に興がのると、あまりひどくうなずくので、彼の腰かけている椅子ががたついて、動くことがある。彼の腰かけている椅子ががたついて、滑り落ちそうになると、慌(あわ)てて居ずまいをなおして、椅子に深く腰をかけるが、すぐまたうなずきはじめる。それに咽喉がわるいのか、奇妙な咳(せき)をする。ちょうど鶏がトキをつくる際のけたたましさに似た、思いがけない疳高(かんだか)い声でやるのだ。どこにいても、それこそずいぶん遠くにいても、その咳で、「リュウさん」とわかるのだという。ちょうどその話をしていたとき、出張所の横手の路の先から咳が聞えて、「そら」と言っていると案の定「リュウさん」で、大笑いしたことがある。また、彼の話しっぷりそのものが、咳やうなずき工合と同じに突拍子もなくて、黒竜会の壮士だったというのも、いくらかそういうこともあったのだろうが、彼の話しぶりにも由来(ゆらい)しているのだろう。「リュウさん」と皆が言うので、僕は「竜さん」だと思いこんでいたら、ほんとうの名は「隆さん」だった。

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十分

 それから幾月か家でただのらくらして過したのち、私はイートンの学生になった。そのあいだの短い月日は、ブランスビイ博士の学校でのあの出来事の記憶を弱めるのに、あるいは、少なくともその記憶にたいする感じ方を著しく変えるのに、十分であった。その劇の真実性――悲劇性――はもうなくなっていた。いまではあのときの自分の感覚が確かだったかどうかと疑う余裕さえできた。そしてたまにあの事がらを思い出すときには、ただ、人間というものはなんと物事を軽々しく信ずるものかと驚き、自分が遺伝的に持っている溌剌(はつらつ)たる想像の力に微笑(ほほえ)んだのだった。またこの種の懐疑は、自分がイートンで送った生活の性質のために減りそうにもなかった。私がそこですぐさま向う見ずに跳びこんでいった無分別な愚行の渦(うず)は、自分の過去の月日の泡(あわ)だけを除いてすべてを洗い去り、堅実な、または真面目な印象は一つ残らずさっさとのみこみ、以前の生涯(しょうがい)の全く浮薄なものだけしか記憶に残さなかったのだ。

 しかし、私は、このイートンでの自分のあさましい乱行――学校の目を巧みにのがれながら、学校の規則などものともしなかった乱行――をいちいちたどって書こうとは思わぬ。愚行の三カ年は、ただ私に悪徳の根ぶかい習慣をつけ、またちょっと普通以上に私の背丈を伸ばしただけで、なんの得るところもなく過ぎ去った。が、そのころ、一週間もめちゃくちゃな放蕩(ほうとう)をしたのち、私はもっとも放縦な学生の数人を自分の部屋での秘密な酒宴に招待したのであった。私たちは夜がよほど更(ふ)けてから集まった。自分たちの乱行をまちがいなく朝までもつづけるつもりだったのだから。酒は豊かに満ちあふれていたし、それ以外のおそらくもっと危険な誘惑物なども欠けてはいなかった。というわけだったから、私たちの有頂天の乱痴気騒ぎがその絶頂に達しているうちに、東の方ははやかすかにほんのりと白みかかっていたのだった。骨牌(かるた)と酩酊(めいてい)とのために狂ったように興奮して、私がまさにいつも以上の不埒(ふらち)な言葉を吐いて乾杯を強(し)いようとしていたちょうどこのとき、とつぜん自分の注意は、部屋の扉が少しではあるがはげしく開かれて、外から一人の小使がせかせかした声で呼んでいるのに、逸(そ)らされた。彼は、誰か急用のあるらしい人が、玄関のところで私に会って話したいと言っている、と告げた。
 ひどく酒に酔っぱらっていたので、この思いがけない邪魔が入ったことは、私を驚かせるよりもむしろ喜ばせた。すぐさま私は前へよろめいてゆき、五、六歩歩くとその建物の玄関へ出た(8)。その低い小さな室(へや)にはランプは一つもかかっていないので、そのときは、一つの半円形の窓から射(さ)しこんでくるごくかすかな暁の光のほかには、光はぜんぜん入っていなかった。その室の閾(しきい)をまたいだとき、私は自分と同じくらいの背の高さで、自分がそのとき着ていたもののように最新流行型に仕立てた白いカシミヤのモーニング・フロックを着た、一人の青年の姿に気がついた。それだけのことは、そのかすかな光で認められた。が、彼の顔の目鼻だちは見分けることができなかった。私が入ってゆくと、その男は急いで私の方へずかずかと歩みよって、怒りっぽいじれったそうな身ぶりで私の腕をつかみながら、私の耳もとで「ウィリアム・ウィルスン!」とささやいた。
 私はたちまち、すっかり酔いがさめてしまった。

序  説

     一 序  説

 「いき」という現象はいかなる構造をもっているか。まず我々は、いかなる方法によって「いき」の構造を闡明(せんめい)し、「いき」の存在を把握することができるであろうか。「いき」が一の意味を構成していることはいうまでもない。また「いき」が言語として成立していることも事実である。しからば「いき」という語は各国語のうちに見出(みいだ)されるという普遍性を備えたものであろうか。我々はまずそれを調べてみなければならない。そうして、もし「いき」という語がわが国語にのみ存するものであるとしたならば、「いき」は特殊の民族性をもった意味であることになる。しからば特殊な民族性をもった意味、すなわち特殊の文化存在はいかなる方法論的態度をもって取扱わるべきものであろうか。「いき」の構造を明らかにする前に我々はこれらの先決問題に答えなければならぬ。
 まず一般に言語というものは民族といかなる関係を有するものか。言語の内容たる意味と民族存在とはいかなる関係に立つか。意味の妥当問題は意味の存在問題を無用になし得るものではない。否(いな)、往々、存在問題の方が原本的である。我々はまず与えられた具体から出発しなければならない。我々に直接に与えられているものは「我々」である。また我々の綜合と考えられる「民族」である。そうして民族の存在様態は、その民族にとって核心的のものである場合に、一定の「意味」として現われてくる。また、その一定の意味は「言語」によって通路を開く。それ故に一の意味または言語は、一民族の過去および現在の存在様態の自己表明、歴史を有する特殊の文化の自己開示にほかならない。したがって、意味および言語と民族の意識的存在との関係は、前者が集合して後者を形成するのではなくて、民族の生きた存在が意味および言語を創造するのである。両者の関係は、部分が全体に先立つ機械的構成関係ではなくて、全体が部分を規定する有機的構成関係を示している。それ故に、一民族の有する或る具体的意味または言語は、その民族の存在の表明として、民族の体験の特殊な色合(いろあい)を帯びていないはずはない。
 もとより、いわゆる自然現象に属する意味および言語は大なる普遍性をもっている。しかもなお、その普遍性たるや決して絶対的のものではない。例えばフランス語の ciel とか bois とかいう語を英語の sky, wood 、ドイツ語の Himmel, Wald と比較する場合に、その意味内容は必ずしも全然同一のものではない。これはその国土に住んだことのある者は誰しも直ちに了解することである。Le ciel est triste et beau の ciel と、 What shapes of sky or plain? の sky と、 Der bestirnte Himmel ber mir の Himmel とは、国土と住民とによっておのおのその内容に特殊の規定を受けている。自然現象に関する言葉でさえ既にかようであるから、まして社会の特殊な現象に関する語は他国語に意味の上での厳密なる対当者を見出すことはできない。ギリシャ語のπολισ[#οに鋭アクセント。σはファイナルシグマ]にしてもεταιρα[#εに帯気。ιに鋭アクセント]にしても、フランス語の ville や courtisane とは異なった意味内容をもっている。またたとえ語源を同じくするものでも、一国語として成立する場合には、その意味内容に相違を生じてくる。ラテン語の caesar とドイツ語の Kaiser との意味内容は決して同一のものではない。
 無形的な意味および言語においても同様である。のみならず、或る民族の特殊の存在様態が核心的のものとして意味および言語の形で自己を開示しているのに、他の民族は同様の体験を核心的のものとして有せざるがために、その意味および言語を明らかに欠く場合がある。例えば、esprit という意味はフランス国民の性情と歴史全体とを反映している。この意味および言語は実にフランス国民の存在を予想するもので、他の民族の語彙(ごい)のうちに索(もと)めても全然同様のものは見出し得ない。ドイツ語では Geist をもってこれに当てるのが普通であるが、 Geist の固有の意味はヘーゲルの用語法によって表現されているもので、フランス語の esprit とは意味を異にしている。 geistreich という語もなお esprit の有する色合を完全にもっているものではない。もし、もっているとすれば、それは意識的に esprit の翻訳としてこの語を用いた場合のみである。その場合には本来の意味内容のほかに強(し)いて他の新しい色彩を帯びさせられたものである。否(いな)、他の新しい意味を言語の中に導入したものである。そうしてその新しい意味は自国民が有機的に創造したものではなくて、他国から機械的に輸入したものに過ぎないのである。英語の spirit も intelligence も wit もみな esprit ではない。前の二つは意味が不足しているし、 wit は意味が過剰である。なお一例を挙げれば Sehnsucht という語はドイツ民族が産んだ言葉であって、ドイツ民族とは有機的関係をもっている。陰鬱(いんうつ)な気候風土や戦乱の下(もと)に悩んだ民族が明るい幸(さち)ある世界に憬(あこが)れる意識である。レモンの花咲く国に憧(あこが)れるのは単にミニョンの思郷の情のみではない。ドイツ国民全体の明るい南に対する悩ましい憧憬(しょうけい)である。「夢もなお及ばない遠い未来のかなた、彫刻家たちのかつて夢みたよりも更に熱い南のかなた、神々が踊りながら一切の衣裳を恥ずる彼地(かのち)へ{1}」の憧憬、ニイチェのいわゆる flgelbrausende Sehnsucht はドイツ国民の斉(ひと)しく懐くものである。そうしてこの悩みはやがてまた noumenon の世界の措定(そてい)として形而上的(けいじじょうてき)情調をも取って来るのである。英語の longing またはフランス語の langueur, soupir, dsir などは Sehnsucht の色合の全体を写し得るものではない。ブートルーは「神秘説の心理」と題する論文のうちで、神秘説に関して「その出発点は精神の定義しがたい一の状態で、ドイツ語の Sehnsucht がこの状態をかなり善(よ)く言い表わしている{2}」といっているが、すなわち彼はフランス語のうちに Sehnsucht の意味を表現する語のないことを認めている。
 「いき」という日本語もこの種の民族的色彩の著しい語の一つである。いま仮りに同意義の語を欧洲語のうちに索めてみよう。まず英、独の両語でこれに類似するものは、ほとんど悉(ことごと)くフランス語の借用に基づいている。しからばフランス語のうちに「いき」に該当するものを見出すことができるであろうか。第一に問題となるのは chic という言葉である。この語は英語にもドイツ語にもそのまま借用されていて、日本ではしばしば「いき」と訳される。元来、この語の語源に関しては二説ある。一説によれば chicane の略で裁判沙汰を縺(もつ)れさせる「繊巧(せんこう)な詭計(きけい)」を心得ているというような意味がもとになっている。他説によれば chic の原形は schick である。すなわち schicken から来たドイツ語である。そうして geschickt と同じに、諸事についての「巧妙」の意味をもっていた。その語をフランスが輸入して、次第に趣味についての lgant に近接する意味に変えて用いるようになった。今度はこの新しい意味をもった chic として、すなわちフランス語としてドイツにも逆輸入された。しからば、この語の現在有する意味はいかなる内容をもっているかというに、決して「いき」ほど限定されたものではない。外延のなお一層広いものである。すなわち「いき」をも「上品」をも均(ひと)しく要素として包摂(ほうせつ)し、「野暮(やぼ)」「下品」などに対して、趣味の「繊巧」または「卓越」を表明している。次に coquet という語がある。この語は coq から来ていて、一羽の雄鶏(おんどり)が数羽の牝鶏(めんどり)に取巻かれていることを条件として展開する光景に関するものである。すなわち「媚態的(びたいてき)」を意味する。この語も英語にもドイツ語にもそのまま用いられている。ドイツでは十八世紀に coquetterie に対して Fngereiという語が案出されたが一般に通用するに至らなかった。この特に「フランス的」といわれる語は確かに「いき」の徴表(ちょうひょう)の一つを形成している。しかしなお、他の徴表の加わらざる限り「いき」の意味を生じては来ない。しかのみならず徴表結合の如何(いかん)によっては「下品」ともなり「甘く」もなる。カルメンがハバネラを歌いつつドン・ジョゼに媚(こ)びる態度は coquetterie には相違ないが決して「いき」ではない。なおまたフランスには raffinという語がある。 re-affiner すなわち「一層精細にする」という語から来ていて、「洗練」を意味する。英語にもドイツ語にも移って行っている。そうしてこの語は「いき」の徴表の一をなすものである。しかしながら「いき」の意味を成すにはなお重要な徴表を欠いている。かつまた或る徴表と結合する場合には「いき」と或る意味で対立している「渋味」となることもできる。要するに「いき」は欧洲語としては単に類似の語を有するのみで全然同価値の語は見出し得ない。したがって「いき」とは東洋文化の、否、大和(やまと)民族の特殊の存在様態の顕著な自己表明の一つであると考えて差支(さしつかえ)ない。
 もとより「いき」と類似の意味を西洋文化のうちに索めて、形式化的抽象によって何らか共通点を見出すことは決して不可能ではない。しかしながら、それは民族の存在様態としての文化存在の理解には適切な方法論的態度ではない。民族的、歴史的存在規定をもった現象を自由に変更して可能の領域においていわゆる「イデアチオン」を行(おこな)っても、それは単にその現象を包含する抽象的の類概念を得るに過ぎない。文化存在の理解の要諦(ようたい)は、事実としての具体性を害(そこな)うことなくありのままの生ける形態において把握することである。ベルクソンは、薔薇(ばら)の匂(におい)を嗅(か)いで過去を回想する場合に、薔薇の匂が与えられてそれによって過去のことが連想されるのではない。過去の回想を薔薇の匂のうちに嗅ぐのであるといっている。薔薇の匂という一定不変のもの、万人に共通な類概念的のものが現実として存するのではない。内容を異にした個々の匂があるのみである。そうして薔薇の匂という一般的なものと回想という特殊なものとの連合によって体験を説明するのは、多くの国語に共通なアルファベットの幾字かを並べて或る一定の国語の有する特殊な音(おん)を出そうとするようなものであるといっている{3}。「いき」の形式化的抽象を行って、西洋文化のうちに存する類似の現象との共通点を求めようとするのもその類(たぐい)である。およそ「いき」の現象の把握に関して方法論的考察をする場合に、我々はほかでもない universalia の問題に面接している。アンセルムスは、類(るい)概念を実在であると見る立場に基づいて、三位(さんみ)は畢竟(ひっきょう)一体の神であるという正統派の信仰を擁護した。それに対してロスケリヌスは、類概念を名目に過ぎずとする唯名論(ゆいめいろん)の立場から、父と子と聖霊の三位は三つの独立した神々であることを主張して、三神説の誹(そし)りを甘受した。我々は「いき」の理解に際して universalia の問題を唯名論の方向に解決する異端者たるの覚悟を要する。すなわち、「いき」を単に種(しゅ)概念として取扱って、それを包括する類概念の抽象的普遍を向観する「本質直観」を索(もと)めてはならない。意味体験としての「いき」の理解は、具体的な、事実的な、特殊な「存在会得(えとく)」でなくてはならない。我々は「いき」の essentia を問う前に、まず「いき」の existentia を問うべきである。一言にしていえば「いき」の研究は「形相的」であってはならない。「解釈的」であるべきはずである{4}。
 しからば、民族的具体の形で体験される意味としての「いき」はいかなる構造をもっているか。我々はまず意識現象の名の下(もと)に成立する存在様態としての「いき」を会得し、ついで客観的表現を取った存在様態としての「いき」の理解に進まなければならぬ。前者を無視し、または前者と後者との考察の順序を顛倒(てんとう)するにおいては「いき」の把握は単に空(むな)しい意図に終るであろう。しかも、たまたま「いき」の闡明(せんめい)が試みられる場合には、おおむねこの誤謬(ごびゅう)に陥っている。まず客観的表現を研究の対象として、その範囲内における一般的特徴を索めるから、客観的表現に関する限りでさえも「いき」の民族的特殊性の把握に失敗する。また客観的表現の理解をもって直ちに意識現象の会得と見做(みな)すため、意識現象としての「いき」の説明が抽象的、形相的に流れて、歴史的、民族的に規定された存在様態を、具体的、解釈的に闡明することができないのである。我々はそれと反対に具体的な意識現象から出発しなければならぬ。

 {1}Nietzsche, Also sprach Zarathustra, Teil III, Von alten und neuen Tafeln.
 {2}Boutroux, La psychologie du mysticisme(La nature et l'esprit, 1926, p. 177).
 {3}Bergson, Essai sur les donnes immdiates de la conscience, 20e d., 1921, p. 124.
 {4}「形相的」および「解釈的」の意義につき、また「本質」と「存在」との関係については左の諸書参照。
    Husserl, Ideen zu einer reinen Phnomenologie, 1913, I, S. 4, S. 12.
    Heidegger, Sein und Zeit, 1927, I, S. 37 f.
    Oskar Becker, Mathematische Existenz, 1927, S. 1.