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十分

 それから幾月か家でただのらくらして過したのち、私はイートンの学生になった。そのあいだの短い月日は、ブランスビイ博士の学校でのあの出来事の記憶を弱めるのに、あるいは、少なくともその記憶にたいする感じ方を著しく変えるのに、十分であった。その劇の真実性――悲劇性――はもうなくなっていた。いまではあのときの自分の感覚が確かだったかどうかと疑う余裕さえできた。そしてたまにあの事がらを思い出すときには、ただ、人間というものはなんと物事を軽々しく信ずるものかと驚き、自分が遺伝的に持っている溌剌(はつらつ)たる想像の力に微笑(ほほえ)んだのだった。またこの種の懐疑は、自分がイートンで送った生活の性質のために減りそうにもなかった。私がそこですぐさま向う見ずに跳びこんでいった無分別な愚行の渦(うず)は、自分の過去の月日の泡(あわ)だけを除いてすべてを洗い去り、堅実な、または真面目な印象は一つ残らずさっさとのみこみ、以前の生涯(しょうがい)の全く浮薄なものだけしか記憶に残さなかったのだ。

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