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「いき」の内包的構造

     二「いき」の内包的構造

 意識現象の形において意味として開示される「いき」の会得(えとく)の第一の課題として、我々はまず「いき」の意味内容を形成する徴表を内包的に識別してこの意味を判明ならしめねばならない。ついで第二の課題として、類似の諸意味とこの意味との区別を外延的に明らかにしてこの意味に明晰を与えることを計らねばならない。かように「いき」の内包的構造と外延的構造とを均(ひと)しく闡明(せんめい)することによって、我々は意識現象としての「いき」の存在を完全に会得することができるのである。
 まず内包的見地にあって、「いき」の第一の徴表は異性に対する「媚態」である。異性との関係が「いき」の原本的存在を形成していることは、「いきごと」が「いろごと」を意味するのでもわかる。「いきな話」といえば、異性との交渉に関する話を意味している。なお「いきな話」とか「いきな事」とかいううちには、その異性との交渉が尋常の交渉でないことを含んでいる。近松秋江(ちかまつしゅうこう)の『意気なこと』という短篇小説は「女を囲う」ことに関している。そうして異性間の尋常ならざる交渉は媚態(びたい)の皆無を前提としては成立を想像することができない。すなわち「いきな事」の必然的制約は何らかの意味の媚態である。しからば媚態とは何であるか。媚態とは、一元的の自己が自己に対して異性を措定(そてい)し、自己と異性との間に可能的関係を構成する二元的態度である。そうして「いき」のうちに見られる「なまめかしさ」「つやっぽさ」「色気」などは、すべてこの二元的可能性を基礎とする緊張にほかならない。いわゆる「上品」はこの二元性の欠乏を示している。そうしてこの二元的可能性は媚態の原本的存在規定であって、異性が完全なる合同を遂(と)げて緊張性を失う場合には媚態はおのずから消滅する。媚態は異性の征服を仮想的目的とし、目的の実現とともに消滅の運命をもったものである。永井荷風(ながいかふう)が『歓楽』のうちで「得ようとして、得た後の女ほど情(なさけ)無いものはない」といっているのは、異性の双方において活躍していた媚態の自己消滅によって齎(もた)らされた「倦怠、絶望、嫌悪」の情を意味しているに相違ない。それ故に、二元的関係を持続せしむること、すなわち可能性を可能性として擁護することは、媚態の本領であり、したがって「歓楽」の要諦(ようたい)である。しかしながら、媚態の強度は異性間の距離の接近するに従って減少するものではない。距離の接近はかえって媚態の強度を増す。菊池寛(きくちかん)の『不壊(ふえ)の白珠(しらたま)』のうちで「媚態」という表題の下に次の描写がある。「片山(かたやま)氏は……玲子(れいこ)と間隔をあけるやうに、なるべく早足に歩かうとした。だが、玲子は、そのスラリと長い脚で……片山氏が、離れようとすればするほど寄り添つて、すれずれに歩いた」。媚態の要は、距離を出来得る限り接近せしめつつ、距離の差が極限に達せざることである。可能性としての媚態は、実に動的可能性として可能である。アキレウスは「そのスラリと長い脚で」無限に亀(かめ)に近迫するがよい。しかし、ヅェノンの逆説を成立せしめることを忘れてはならない。けだし、媚態とは、その完全なる形においては、異性間の二元的、動的可能性が可能性のままに絶対化されたものでなければならない。「継続された有限性」を継続する放浪者、「悪い無限性」を喜ぶ悪性者(あくしょうもの)、「無窮に」追跡して仆(たお)れないアキレウス、この種の人間だけが本当の媚態を知っているのである。そうして、かような媚態が「いき」の基調たる「色っぽさ」を規定している。
 「いき」の第二の徴表は「意気」すなわち「意気地」である。意識現象としての存在様態である「いき」のうちには、江戸文化の道徳的理想が鮮やかに反映されている。江戸児(えどっこ)の気概が契機として含まれている。野暮と化物とは箱根より東に住まぬことを「生粋(きっすい)」の江戸児は誇りとした。「江戸の花」には、命をも惜しまない町火消(まちびけし)、鳶者(とびのもの)は寒中でも白足袋(しろたび)はだし、法被(はっぴ)一枚の「男伊達(おとこだて)」を尚(とうと)んだ。「いき」には、「江戸の意気張り」「辰巳(たつみ)の侠骨(きょうこつ)」がなければならない。「いなせ」「いさみ」「伝法(でんぽう)」などに共通な犯すべからざる気品・気格がなければならない。「野暮は垣根の外がまへ、三千楼の色競(くら)べ、意気地(いきじ)くらべや張競べ」というように、「いき」は媚態でありながらなお異性に対して一種の反抗を示す強味をもった意識である。「鉢巻の江戸紫」に「粋(いき)なゆかり」を象徴する助六(すけろく)は「若い者、間近く寄つてしやつつらを拝み奉れ、やい」といって喧嘩を売る助六であった。「映らふ色やくれなゐの薄花桜」と歌われた三浦屋の揚巻(あげまき)も髭(ひげ)の意休(いきゅう)に対して「慮外ながら揚巻で御座んす。暗がりで見ても助六さんとお前、取違へてよいものか」という思い切った気概を示した。「色と意気地を立てぬいて、気立(きだて)が粋(すい)で」とはこの事である。かくして高尾(たかお)も小紫(こむらさき)も出た。「いき」のうちには溌剌(はつらつ)として武士道の理想が生きている。「武士は食わねど高楊枝(たかようじ)」の心が、やがて江戸者の「宵越(よいごし)の銭(ぜに)を持たぬ」誇りとなり、更にまた「蹴(け)ころ」「不見転(みずてん)」を卑(いや)しむ凛乎(りんこ)たる意気となったのである。「傾城(けいせい)は金でかふものにあらず、意気地にかゆるものとこころへべし」とは廓(くるわ)の掟(おきて)であった。「金銀は卑しきものとて手にも触れず、仮初(かりそめ)にも物の直段(ねだん)を知らず、泣言(なきごと)を言はず、まことに公家大名(くげだいみょう)の息女(そくじょ)の如し」とは江戸の太夫(たゆう)の讃美であった。「五丁町(ごちょうまち)の辱(はじ)なり、吉原(よしわら)の名折れなり」という動機の下(もと)に、吉原の遊女は「野暮な大尽(だいじん)などは幾度もはねつけ」たのである。「とんと落ちなば名は立たん、どこの女郎衆(じょろしゅ)の下紐(したひも)を結ぶの神の下心」によって女郎は心中立(しんじゅうだて)をしたのである。理想主義の生んだ「意気地」によって媚態が霊化されていることが「いき」の特色である。
 「いき」の第三の徴表は「諦め」である。運命に対する知見に基づいて執着(しゅうじゃく)を離脱した無関心である。「いき」は垢抜(あかぬけ)がしていなくてはならぬ。あっさり、すっきり、瀟洒(しょうしゃ)たる心持でなくてはならぬ。この解脱(げだつ)は何によって生じたのであろうか。異性間の通路として設けられている特殊な社会の存在は、恋の実現に関して幻滅の悩みを経験させる機会を与えやすい。「たまたま逢ふに切れよとは、仏姿(ほとけすがた)にあり乍(なが)ら、お前は鬼か清心様(せいしんさま)」という歎きは十六夜(いざよい)ひとりの歎きではないであろう。魂を打込んだ真心が幾度か無惨に裏切られ、悩みに悩みを嘗(な)めて鍛えられた心がいつわりやすい目的に目をくれなくなるのである。異性に対する淳朴(じゅんぼく)な信頼を失ってさっぱりと諦(あきら)むる心は決して無代価で生れたものではない。「思ふ事、叶はねばこそ浮世とは、よく諦めた無理なこと」なのである。その裏面には「情(つれ)ないは唯(ただ)うつり気な、どうでも男は悪性者(あくしょうもの)」という煩悩(ぼんのう)の体験と、「糸より細き縁ぢやもの、つい切れ易く綻(ほころ)びて」という万法の運命とを蔵している。そうしてその上で「人の心は飛鳥川(あすかがわ)、変るは勤めのならひぢやもの」という懐疑的な帰趨(きすう)と、「わしらがやうな勤めの身で、可愛(かわい)と思ふ人もなし、思うて呉(く)れるお客もまた、広い世界にないものぢやわいな」という厭世的な結論とを掲げているのである。「いき」を若い芸者に見るよりはむしろ年増(としま)の芸者に見出すことの多いのはおそらくこの理由によるものであろう{1}。要するに、「いき」は「浮かみもやらぬ、流れのうき身」という「苦界(くがい)」にその起原をもっている。そうして「いき」のうちの「諦め」したがって「無関心」は、世智辛(せちがら)い、つれない浮世の洗練を経てすっきりと垢抜した心、現実に対する独断的な執着を離れた瀟洒として未練のない恬淡無碍(てんたんむげ)の心である。「野暮は揉(も)まれて粋となる」というのはこの謂(いい)にほかならない。婀娜(あだ)っぽい、かろらかな微笑の裏に、真摯(しんし)な熱い涙のほのかな痕跡(こんせき)を見詰めたときに、はじめて「いき」の真相を把握(はあく)し得たのである。「いき」の「諦め」は爛熟頽廃(らんじゅくたいはい)の生んだ気分であるかもしれない。またその蔵する体験と批判的知見とは、個人的に獲得したものであるよりは社会的に継承したものである場合が多いかもしれない。それはいずれであってもよい。ともかくも「いき」のうちには運命に対する「諦め」と、「諦め」に基づく恬淡とが否(いな)み得ない事実性を示している。そうしてまた、流転(るてん)、無常を差別相の形式と見、空無(くうむ)、涅槃(ねはん)を平等相の原理とする仏教の世界観、悪縁にむかって諦めを説き、運命に対して静観を教える宗教的人生観が背景をなして、「いき」のうちのこの契機を強調しかつ純化していることは疑いない。
 以上を概括すれば、「いき」の構造は「媚態」と「意気地」と「諦め」との三契機を示している。そうして、第一の「媚態」はその基調を構成し、第二の「意気地」と第三の「諦め」の二つはその民族的、歴史的色彩を規定している。この第二および第三の徴表は、第一の徴表たる「媚態」と一見相容(あいい)れないようであるが、はたして真に相容れないであろうか。さきに述べたように、媚態の原本的存在規定は二元的可能性にある。しかるに第二の徴表たる「意気地」は理想主義の齎(もたら)した心の強味で、媚態の二元的可能性に一層の緊張と一層の持久力とを呈供(ていきょう)し、可能性を可能性として終始せしめようとする。すなわち「意気地」は媚態の存在性を強調し、その光沢を増し、その角度を鋭くする。媚態の二元的可能性を「意気地」によって限定することは、畢竟(ひっきょう)、自由の擁護を高唱するにほかならない。第三の徴表たる「諦め」も決して媚態と相容れないものではない。媚態はその仮想的目的を達せざる点において、自己に忠実なるものである。それ故に、媚態が目的に対して「諦め」を有することは不合理でないのみならず、かえって媚態そのものの原本的存在性を開示せしむることである。媚態と「諦め」との結合は、自由への帰依(きえ)が運命によって強要され、可能性の措定(そてい)が必然性によって規定されたことを意味している。すなわち、そこには否定による肯定が見られる。要するに、「いき」という存在様態において、「媚態」は、武士道の理想主義に基づく「意気地」と、仏教の非現実性を背景とする「諦め」とによって、存在完成にまで限定されるのである。それ故に、「いき」は媚態の「粋(すい)」{2}である。「いき」は安価なる現実の提立(ていりつ)を無視し、実生活に大胆なる括弧(かっこ)を施し、超然として中和の空気を吸いながら、無目的なまた無関心な自律的遊戯をしている。一言にしていえば、媚態のための媚態である。恋の真剣と妄執とは、その現実性とその非可能性によって「いき」の存在に悖(もと)る。「いき」は恋の束縛に超越した自由なる浮気心でなければならぬ。「月の漏(も)るより闇がよい」というのは恋に迷った暗がりの心である。「月がよいとの言草(ことぐさ)」がすなわち恋人にとっては腹の立つ「粋な心」である。「粋な浮世を恋ゆえに野暮にくらすも心から」というときも、恋の現実的必然性と、「いき」の超越的可能性との対峙(たいじ)が明示されている。「粋と云(い)はれて浮いた同士(どし)」が「つひ岡惚(おかぼれ)の浮気から」いつしか恬淡洒脱(てんたんしゃだつ)の心を失って行った場合には「またいとしさが弥増(いやま)して、深く鳴子の野暮らしい」ことを託(かこ)たねばならない。「蓮(はす)の浮気は一寸(ちょいと)惚(ぼ)れ」という時は未だ「いき」の領域にいた。「野暮な事ぢやが比翼紋(ひよくもん)、離れぬ中(なか)」となった時には既に「いき」の境地を遠く去っている。そうして「意気なお方につり合ぬ、野暮なやの字の屋敷者」という皮肉な嘲笑を甘んじて受けなければならぬ。およそ「胸の煙は瓦焼く竈(かまど)にまさる」のは「粋な小梅(こうめ)の名にも似ぬ」のである。スタンダアルのいわゆる amour-passion の陶酔はまさしく「いき」からの背離である。「いき」に左袒(さたん)する者は amour-gotの淡い空気のうちで蕨(わらび)を摘んで生きる解脱(げだつ)に達していなければならぬ。しかしながら、「いき」はロココ時代に見るような「影に至るまでも一切が薔薇色の絵{3}」ではない。「いき」の色彩はおそらく「遠つ昔の伊達姿、白茶苧袴(しらちゃおばかま)」の白茶色であろう。
 要するに「いき」とは、わが国の文化を特色附けている道徳的理想主義と宗教的非現実性との形相因によって、質料因たる媚態が自己の存在実現を完成したものであるということができる。したがって「いき」は無上の権威を恣(ほしいまま)にし、至大の魅力を振うのである。「粋な心についたらされて、嘘(うそ)と知りてもほんまに受けて」という言葉はその消息を簡明に語っている。ケレルマンがその著『日本に於(お)ける散歩』のうちで、日本の或る女について「欧羅巴(ヨーロッパ)の女がかつて到達しない愛嬌をもって彼女は媚(こび)を呈した{4}」といっているのは、おそらく「いき」の魅惑を感じたのであろう。我々は最後に、この豊かな特彩をもつ意識現象としての「いき」、理想性と非現実性とによって自己の存在を実現する媚態としての「いき」を定義して「垢抜して(諦)、張のある(意気地)、色っぽさ(媚態)」ということができないであろうか。

 {1}『春色辰巳園(しゅんしょくたつみのその)』巻之七に「さぞ意気な年増(としま)になるだらうと思ふと、今ツから楽しみだわ」という言葉がある。また『春色梅暦(しゅんしょくうめごよみ)』巻之二に「素顔の意気な中年増(ちゅうどしま)」ということもある。また同書巻之一に「意気な美しいおかみさんが居ると言ひましたから、それぢやア違ツたかと思つて、猶(なお)くはしく聞いたれば、おまはんの年よりおかみさんの方が、年うへのやうだといひますし云々」の言葉があるが、すなわち、ここでは「いき」と形容されている女は、男よりも年上である。一般に「いき」は知見を含むもので、したがって「年の功」を前提としている。「いき」の所有者は、「垢のぬけたる苦労人」でなければならない。
 {2}我々が問題を見ている地平にあっては、「いき」と「粋(すい)」とを同一の意味内容を有するものと考えても差支ないと思う。式亭三馬の『浮世風呂(うきよぶろ)』第二編巻之上で、染色に関して、江戸の女と上方(かみがた)の女との間に次の問答がある。江戸女「薄紫(うすむらさき)といふやうなあんばいで意気だねえ」上方女「いつかう粋ぢや。こちや江戸紫(えどむらさき)なら大好(だいすき)/\」。すなわち、「いき」と「粋」とはこの場合全然同意義である。染色の問答に続いて、三馬はこの二人の女に江戸語と上方語との巧みな使い別けをさせている。のみならず「すつぽん」と「まる」、「から」と「さかい」などのような、江戸語と上方語との相違について口論をさせている。「いき」と「粋」との相違は、同一内容に対する江戸語と上方語との相違であるらしい。したがって、両語の発達を時代的に規定することが出来るかもしれない(『元禄文学辞典』『近松語彙(ちかまつごい)』参照)。もっとも単に土地や時代の相違のみならず、意識現象には好んで「粋(すい)」の語を用い、客観的表現には主として「いき」の語を使うように考えられる場合もある。例えば『春色梅暦』巻之七に出ている流行唄(はやりうた)に「気だてが粋で、なりふりまでも意気で」とある。しかし、また同書巻之九に「意気の情(なさけ)の源」とあるように、意識現象に「いき」の語を用いる場合も多いし、『春色辰巳園』巻之三に「姿も粋な米八(よねはち)」といっているように、客観的表現に「粋」の語を使う場合も少なくない。要するに、「いき」と「粋」とは意味内容を同じくするものと見て差支ないであろう。また、たとえ一は特に意識現象に、他は専ら客観的表現に用いられると仮定しても、客観的表現とは意識現象の客観化にほかならず、したがって両者は結局その根柢においては同一意味内容をもっていることになる。
 {3}Stendhal, De l'amour, livre I, chapitre I.
 {4}Kellermann, Ein Spaziergang in Japan, 1924, S. 256.

「いき」の外延的構造

     三「いき」の外延的構造

 前節において、我々は「いき」の包含する徴表を内包的に弁別して、「いき」の意味を判明ならしめたつもりである。我々はここに、「いき」と「いき」に関係を有する他の諸意味との区別を考察して、外延的に「いき」の意味を明晰(めいせき)ならしめねばならない。
 「いき」に関係を有する主要な意味は「上品」、「派手(はで)」、「渋味」などである。これらはその成立上の存在規定に遡(さかのぼ)って区分の原理を索(もと)める場合に、おのずから二群に分かれる。「上品」や「派手」が存在様態として成立する公共圏は、「いき」や「渋味」が存在様態として成立する公共圏とは性質を異(こと)にしている。そうしてこの二つの公共圏のうち、「上品」および「派手」の属するものは人性的一般存在であり、「いき」および「渋味」の属するものは異性的特殊存在であると断定してもおそらく誤りではなかろう。
 これらの意味は大概みなその反対意味をもっている。「上品」は対立者として「下品」をもっている。「派手」は対立者に「地味」を有する。「いき」の対立者は「野暮」である。ただ、「渋味」だけは判然たる対立者をもっていない。普通には「渋味」と「派手」とを対立させて考えるが、「派手」は相手として「地味」をもっている。さて、「渋味」という言葉はおそらく柿の味から来ているのであろう。しかるに柿は「渋味」のほかになお「甘味」をももっている。渋柿に対しては甘柿がある。それ故、「渋味」の対立者としては「甘味」を考えても差支ないと信ずる。渋茶、甘茶、渋糟(しぶかす)、甘糟、渋皮、甘皮などの反対語の存在も、この対立関係を裏書する。しからば、これらの対立意味はどういう内容をもっているか。また、「いき」といかなる関係に立っているか。
 (一) 上品―下品とは価値判断に基づいた対自性の区別、すなわち物自身の品質上の区別である。言葉が表わしているように、上品とは品柄の勝(すぐ)れたもの、下品とは品柄の劣ったものを指している。ただし品(ひん)の意味は一様ではない。上品、下品とはまず物品に関する区別であり得る。ついで人事にもこの区別が適用される。「上品無寒門、下品無勢族」というときには、上品、下品は、人事関係、特に社会的階級性に関係したものとして見られている。歌麿(うたまろ)の『風俗三段娘』は、上品之部、中品之部、下品之部の三段に分れているが、当時の婦女風俗を上流、中流、下流の三に分って描いている。なお仏教語として品を呉音(ごおん)で読んで極楽浄土の階級性を表わす場合もあるが、広義における人事関係と見て差支ない。上品、下品の対立は、人事関係に基づいて更に人間の趣味そのものの性質を表明するようになり、上品とは高雅なこと、下品とは下卑(げび)たことを意味するようになる。
 しからば「いき」とこれらの意味とはいかなる関係に立っているであろうか。上品は人性的一般存在の公共圏に属するものとして、媚態とは交渉ないものと考えられる。『春色梅暦(しゅんしょくうめごよみ)』に藤兵衛の母親に関して「さも上品なるそのいでたち」という形容があるが、この母親は既に後家になっているのみならず「歳(とし)のころ、五十歳(いそじ)あまりの尼御前(あまごぜ)」である。そうして、藤兵衛の情婦お由(よし)の示す媚態とは絶好の対照をなしている。しかるにまた「いき」は、その徴表中に「意気地(いきじ)」と「諦め」とを有することに基づいて、趣味の卓越として理解される。したがって、「いき」と上品との関係は、一方に趣味の卓越という意味で有価値的であるという共通点を有し、他方に媚態の有無(うむ)という差異点を有するものと考えられる。また、下品はそれ自身媚態と何ら関係ないことは上品と同様であるが、ただ媚態と一定の関係に置かれやすい性質をもっている。それ故に、「いき」と下品との関係を考える場合には、共通点としては媚態の存在、差異点としては趣味の上下優劣を理解するのが普通である。「いき」が有価値的であるに対して下品は反価値的である。そうしてその場合、しばしば、両者に共通の媚態そのものが趣味の上下によって異なった様態を取るものとして思惟(しい)される。たとえば「意気にして賤(いや)しからず」とか、または「意気で人柄がよくて、下卑た事と云(い)つたら是計(これっぱかり)もない」などといっている場合、「いき」と下品との関係が言表(いいあら)わされている。
 「いき」が一方に上品と、他方に下品と、かような関係に立っていることを考えれば、何ゆえにしばしば「いき」が上品と下品との中間者と見做(みな)されるかの理由がわかって来る。一般に上品に或るものを加えて「いき」となり、更に加えて或る程度を越えると下品になるという見方がある。上品と「いき」とは共に有価値的でありながら或るものの有無によって区別される。その或るものを「いき」は反価値的な下品と共有している。それ故に「いき」は上品と下品との中間者と見られるのである。しかしながら、三者の関係をかように直線的に見るのは二次的に起ったことで、存在規定上、原本的ではない。
 (二) 派手―地味とは対他性の様態上の区別である。他に対する自己主張の強度または有無の差である。派手(はで)とは葉が外へ出るのである。「葉出」の義である。地味(じみ)とは根が地を味わうのである。「地の味」の義である。前者は自己から出て他へ行く存在様態、後者は自己の素質のうちへ沈む存在様態である。自己から出て他へ行くものは華美を好み、花やかに飾るのである。自己のうちへ沈むものは飾りを示すべき相手をもたないから、飾らないのである。豊太閤(ほうたいこう)は、自己を朝鮮にまでも主張する性情に基づいて、桃山時代の豪華燦爛(ごうかさんらん)たる文化を致(いた)した。家康(いえやす)は「上を見な」「身の程(ほど)を知れ」の「五字七字」を秘伝とまで考えたから、家臣の美服を戒め鹵簿(ろぼ)の倹素を命じた。そこに趣味の相違が現われている。すなわち、派手、地味の対立はそれ自身においては何ら価値判断を含んでいない非価値的のものである。対立の意味は積極的と消極的との差別に存している。
 「いき」との関係をいえば、派手は「いき」と同じに他に対して積極的に媚態を示し得る可能性をもっている。「派手な浮名が嬉しうて」の言葉でもわかる。また「うらはづかしき派手姿も、みなこれ男を思ふより」というときにも、派手と媚態との可能的関係が示されている。しかし、派手の特色たるきらびやかな衒(てら)いは「いき」のもつ「諦め」と相容れない。江戸褄(えどづま)の下から加茂川染の襦袢(じゅばん)を見せるというので「派手娘江戸の下より京を見せ」という句があるが、調和も統一も考えないで単に華美濃艶(かびのうえん)を衒う「派手娘」の心事と、「つやなし結城(ゆうき)の五ほんて縞(じま)、花色裏のふきさへも、たんとはださぬ」粋者(すいしゃ)の意中とには著しい隔(へだた)りがある。それ故に派手は品質の検校(けんこう)が行われる場合には、往々趣味の下劣が暴露されて下品の極印(ごくいん)を押されることがある。地味は原本的に消極的対他関係に立つために「いき」の有する媚態をもち得ない。その代りに樸素(ぼくそ)な地味は、一種の「さび」を見せて「いき」のうちの「諦め」に通う可能性をもっている。地味が品質の検校を受けてしばしば上品の列に加わるのは、さびた心の奥床(おくゆか)しさによるのである。
 (三) 意気―野暮は異性的特殊性の公共圏内における価値判断に基づいた対自性の区別である。もとよりその成立上の存在規定が異性的特殊性である限り、「いき」のうちには異性に対する措定(そてい)が言表されている。しかし、「いき」が野暮と一対(いっつい)の意味として強調している客観的内容は、対他性の強度または有無(うむ)ではなく、対自性に関する価値判断である。すなわち「いき」と野暮との対立にあっては、或る特殊な洗練の有無が断定されているのである。「いき」はさきにもいったように字通りの「意気」である。「気象」である。そうして「気象の精粋」の意味とともに、「世態人情に通暁すること」「異性的特殊社会のことに明るいこと」「垢抜(あかぬけ)していること」を意味してきている。野暮は「野夫(やぶ)」の音転であるという。すなわち通人粋客に対して、世態に通じない、人情を解しない野人(やじん)田夫(でんぷ)の意である。それより惹(ひ)いて、「鄙(ひな)びたこと」「垢抜のしていないこと」を意味するようになってきた。『春告鳥(はるつげどり)』のうちに「生質野夫(やぼ)にて世間の事をすこしも知らず、青楼妓院(せいろうぎいん)は夢にも見たる事なし。されば通君子(つうくんし)の謗(そし)りすくなからず」という言葉がある。また『英対暖語(えいたいだんご)』のうちに「唄女(はおり)とかいふ意気なのでないと、お気には入らないと聞いて居ました。どうして私のやうな、おやしきの野暮な風で、お気には入りませんのサ」という言葉がある。
 もとより、「私は野暮です」というときには、多くの場合に野暮であることに対する自負が裏面に言表されている。異性的特殊性の公共圏内の洗練を経ていないことに関する誇りが主張されている。そこには自負に価(あたい)する何らかのものが存している。「いき」を好むか、野暮を択(えら)ぶかは趣味の相違である。絶対的な価値判断は客観的には与えられていない。しかしながら、文化的存在規定を内容とする一対の意味が、一は肯定的に言表され、他は否定的の言葉を冠している場合には、その成立上における原本性および非原本性に関して断定を下すことができるとともに、その意味内容の成立した公共圏内における相対的な価値判断を推知することができる。合理、不合理という語は、理性を標準とする公共圏内でできた語である。信仰、無信仰は、宗教的公共圏を成立規定にもっている。そうして、これらの語はその基礎附けられている公共圏内にあっては明らかに価値判断を担(にな)っている。さて、意気といい粋といい、いずれも肯定的にいい表わされている。それに反して野暮は同義語として、否定的に言表された不意気(ぶいき)と不粋(ぶすい)とを有する。我々はこれによって「いき」が原本的で、ついで野暮がその反対意味として発生したことを知り得るとともに、異性的特殊性の公共圏内にあっては「いき」は有価値的として、野暮は反価値的として判断されることを想像することができる。玄人(くろうと)から見れば素人(しろうと)は不粋である。自分に近接している「町風(まちふう)」は「いき」として許されるが、自分から疎隔している「屋敷風」は不意気である。うぶな恋も野暮である。不器量な女の厚化粧も野暮である。「不粋なこなさんぢや有るまいし、色里の諸わけをば知らぬ野暮でもあるまいし」という場合にも、異性的特殊性の公共圏内における価値判断の結果として、不粋と野暮とによって反価値性が示されている。
 (四) 渋味―甘味は対他性から見た区別で、かつまた、それ自身には何らの価値判断を含んでいない。すなわち、対他性が積極的であるか、消極的であるかの区別が言表されているだけである。渋味は消極的対他性を意味している。柿が肉の中(うち)に渋味を蔵するのは烏(からす)に対して自己を保護するのである。栗が渋い内皮をもっているのは昆虫類に対する防禦(ぼうぎょ)である。人間も渋紙で物を包んで水の浸入に備えたり、渋面(じゅうめん)をして他人との交渉を避けたりする。甘味はその反対に積極的対他性を表わしている。甘える者と甘えられる者との間には、常に積極的な通路が開けている。また、人に取入ろうとする者は甘言を提供し、下心ある者は進んで甘茶を飲ませようとする。
 対他性上の区別である渋味と甘味とは、それ自身には何ら一定の価値判断を担(にな)っていない。価値的意味はその場合その場合の背景によって生じて来るのである。「しぶかはにまあだいそれた江戸のみづ」の渋皮は反価値的のものである。それに反して、しぶうるかという場合、うるかは味の渋さを賞するものであるから、渋味は有価値的意味を表現している。甘味についても、たとえば、茶のうちでは玉露に「甘い優美な趣味」があるとか、政(まつりごと)よろしきを得れば天が甘露を降らすとか、または快く承諾することを甘諾(かんだく)といったりする時には、甘味は有価値的意味をもっている。しかるに、「あまっちょ」「甘ったるい物の言い方」「甘い文学」などいう場合には、甘味によって明らかに反価値性が言表されている。
 さて、渋味と甘味とが対他性上の消極的または積極的の存在様態として理解される場合には、両者は勝義において異性的特殊性の公共圏に属するものとして考えられる。この公共圏内の対他的関係の常態は甘味である。「甘えてすねて」とか「甘えるすがた色ふかし」などいう言葉に表われている。そうして、渋味は甘味の否定である。荷風は『歓楽』の中で、「其の土地では一口に姐(ねえ)さんで通るかと思ふ年頃の渋いつくりの女」に出逢(であ)って、その女が十年前に自分と死のうと約束した小菊(こぎく)という芸者であったことを述べている。この場合、その女のもっていた昔の甘味は否定されて渋味になっているのである。渋味はしばしば派手の反対意味として取扱われる。しかしながらそれは渋味の存在性を把握するに妨害をする。派手の反対意味としては地味がある。渋味をも地味をも斉(ひと)しく派手に対立させることによって、渋味と地味とを混同する結果を来たす。渋味と地味とは共に消極的対他性を表わす点に共通点をもっているが、重要なる相違点は、地味が人性的一般性を公共圏として甘味とは始めより何ら関係なく成立しているに反して、渋味は異性的特殊性を公共圏として甘味の否定によって生じたものであるという事実である。したがって、渋味は地味よりも豊富な過去および現在をもっている。渋味は甘味の否定には相違ないが、その否定は忘却とともに回想を可能とする否定である。逆説のようであるが、渋味には艶(つや)がある。
 しからば、渋味および甘味は「いき」とはいかなる関係に立っているか。三者とも異性的特殊存在の様態である。そうして、甘味を常態と考えて、対他的消極性の方向へ移り行くときに、「いき」を経て渋味に到る路があることに気附くのである。この意味において、甘味と「いき」と渋味とは直線的関係に立っている。そうして「いき」は肯定より否定への進路の中間に位(くらい)している{1}。
 独断の「甘い」夢が破られて批判的知見に富んだ「いき」が目醒(めざ)めることは、「いき」の内包的構造のところで述べた。また、「いき」が「媚態のための媚態」もしくは「自律的遊戯」の形を取るのは「否定による肯定」として可能であることも言った。それは甘味から「いき」への推移について語ったにほかならない。しかるに、更に否定が優勢を示して極限に近づく時には「いき」は渋味に変ずるのである。荷風の「渋いつくりの女」は、甘味から「いき」を経て渋味に行ったに相違ない。歌沢(うたざわ)の或るもののうちに味わわれる渋味も畢竟(ひっきょう)、清元(きよもと)などのうちに存する「いき」の様態化であろう。辞書『言海』の「しぶし」の条下に「くすみていきなり」と説明してあるが、渋味が「いき」の様態化であることを認めているわけである。そうしてまた、この直線的関係において「いき」が甘味へ逆戻りをする場合も考え得る。すなわち「いき」のうちの「意気地」や「諦め」が存在を失って、砂糖のような甘ったるい甘味のみが「甘口」な人間の特徴として残るのである。国貞(くにさだ)の女が清長(きよなが)や歌麿(うたまろ)から生れたのはこういう径路(けいろ)を取っている。
 以上において我々はほぼ「いき」の意味を他の主要なる類似意味と区別することができたと信ずる。また、これらの類似意味との比較によって、意味体験としての「いき」が、単に意味としての客観性を有するのみならず、趣味として価値判断の主体および客体となることが暗示されたと思う。その結果として我々は、「いき」を或る趣味体系の一員として他の成員との関係において会得(えとく)することができるのである。その関係はすなわち左のとおりである。

[#図が入るが省略。底本43ページ]

 もとより、趣味はその場合その場合には何らかの主観的価値判断を伴っている。しかしその判断が客観的に明瞭に主張される場合と、主観内に止(とど)まって曖昧(あいまい)な形より取らない場合とがある。いま仮りに前者を価値的といい、後者を非価値的というのである。
 なお、この関係は、左図のように、直六面体の形で表わすことができる。

[#図が入るが省略。底本44ページ]

この図において、正方形をなす上下の両面は、ここに取扱う趣味様態の成立規定たる両公共圏を示す。底面は人性的一般性、上面は異性的特殊性を表わす。八個の趣味を八つの頂点に置く。上面および底面上にて対角線によって結び付けられた頂点に位置を占むる趣味は相(あい)対立する一対を示す。もとより何と何とを一対として考えるかは絶対的には決定されていない。上面と底面において、正方形の各辺によって結び付けられた頂点(例えば意気と渋味)、側面の矩形(くけい)において、対角線によって結び付けられた頂点(例えば意気と派手)、直六面体の側稜(そくりょう)によって結び付けられた頂点(例えば意気と上品)、直六面体の対角線によって結び付けられた頂点(例えば意気と下品)、これらのものは常に何らかの対立を示している。すなわち、すべての頂点は互いに対立関係に立つことができる。上面と底面において、正方形の対角線によって対立する頂点はそのうちで対立性の最も顕著なものである。その対立の原理として、我々は、各公共圏において、対自性と対他性とを考えた。対自性上の対立は価値判断に基づくもので、対立者は有価値的と反価値的との対照を示した。対他性上の対立は価値とは関係ない対立で、対立者は積極的と消極的とに分れた。六面体では、対自性上の価値的対立と、対他性上の非価値的対立とは、上下の正方形の二対の対角線が六面体を垂直に截(き)ることによって生ずる二つの互に垂直に交わる矩形によって表わされている。すなわち、上品、意気、野暮、下品を角頂にもつ矩形は対自性上の対立を示し、派手、甘味、渋味、地味を角頂とする矩形は対他性上の対立を表わしている。いま、底面の正方形の二つの対角線の交点をOとし、上面の正方形の二つの対角線の交点をPとし、この二点を結び付ける法線OPを引いてみる。この法線OPは対自性的矩形面と対他性的矩形面との相交(まじわ)る直線にほかならないが、この趣味体系内にあっての具体的普遍者を意味している。その内面的発展によって外囲(がいい)に特殊の趣味が現われて来る。さてこの法線OPは、対自性的矩形と、対他性的矩形とのおのおのを垂直に二等分している。その結果としてできたO、P、意気、上品の矩形は有価値性を表わし、O、P、野暮、下品の矩形は反価値性を表わす。また、O、P、甘味、派手の矩形は積極性、O、P、渋味、地味の矩形は消極性を表わしている。
 なおこの直六面体は、他の同系統の種々の趣味をその表面または内部の一定点に含有すると考えても差支ないであろう。いま、すこし例を挙げてみよう。
 「さび」とは、O、上品、地味のつくる三角形と、P、意気、渋味のつくる三角形とを両端面に有する三角※(さんかくちゅう)[#「※」は「つちへん+壽」、46-2]の名称である。わが大和民族の趣味上の特色は、この三角※[#「※」は「つちへん+壽」、読みは「ちゅう」、46-2]が三角※[#「※」は「つちへん+壽」、読みは「ちゅう」、46-2]の形で現勢的に存在する点にある。
 「雅」は、上品と地味と渋味との作る三角形を底面とし、Oを頂点とする四面体のうちに求むべきものである。
 「味」とは、甘味と意気と渋味とのつくる三角形を指していう。甘味、意気、渋味が異性的特殊存在の様態化として直線的関係をもつごとく考え得る可能性は、この直角三角形の斜辺ならざる二辺上において、甘味より意気を経て渋味に至る運動を考えることに存している。
 「乙」とは、この同じ三角形を底面とし、下品を頂点とする四面体のうちに位置を占めているものであろう。
 「きざ」は、派手と下品とを結び付ける直線上に位している。
 「いろっぽさ」すなわち coquet は、上面の正方形内に成立するものであるが、底面上に射影を投ずることがある。上面の正方形においては、甘味と意気とを結び付けている直線に平行してPを通る直線が正方形の二辺と交わる二点がある。この二つの交点と甘味と意気とのつくる矩形全体がいろっぽさである。底面上に射影を投ずる場合には、派手と下品とを結び付ける直線に平行してOを通る直線が正方形の二辺と交わる二つの交点と、派手と、下品とがつくる矩形がいろっぽさを表わしている。上品と意気と下品とを直線的に考えるのは、いろっぽさの射影を底面上に仮定した後、上品と意気と下品の三点を結んで一の三角形を作り、上品から出発して意気を経て下品へ行く運動を考えることを意味しているはずである。影は往々実物よりも暗いものである。
 chic とは、上品と意気との二頂点を結び付ける直線全体を漠然(ばくぜん)と指している。
 raffinとは、意気と渋味とを結び付ける直線が六面体の底面に向って垂直に運動し、間もなく静止した時に、その運動が描いた矩形の名称である。
 要するに、この直六面体の図式的価値は、他の同系統の趣味がこの六面体の表面および内部の一定点に配置され得る可能性と函数的(かんすうてき)関係をもっている。

 {1}『船頭部屋』に「ここも都の辰巳(たつみ)とて、喜撰(きせん)は朝茶の梅干に、栄代団子(えいたいだんご)の角(かど)とれて、酸いも甘いもかみわけた」という言葉があるように、「いき」すなわち粋の味は酸いのである。そうして、自然界における関係の如何(いかん)は別として、意識の世界にあっては、酸味は甘味と渋味との中間にあるのである。また渋味は、自然界にあっては不熟の味である場合が多いが、精神界にあってはしばしば円熟した趣味である。広義の擬古主義が蒼古的(そうこてき)様式の古拙性を尊ぶ理由もそこにある。渋味に関して、正、反、合の形式をとって弁証法が行われているとも考えられる。「鶯(うぐいす)の声まだ渋く聞(きこ)ゆなり、すだちの小野の春の曙(あけぼの)」というときの渋味は、渋滞の意で第一段たる「正」の段階を示している。それに対して、甘味は第二段たる「反」の段階を形成する。そうして「無地表(むじおもて)、裏模様(うらもよう)」の渋味、すなわち趣味としての渋味は、甘味を止揚したもので、第三段たる「合」の段階を表わしている。

「いき」の自然的表現

     四「いき」の自然的表現

 今までは意識現象としての「いき」を考察してきた。今度は客観的表現の形を取った「いき」を、理解さるべき存在様態と見てゆかねばならぬ。意味としての「いき」の把握(はあく)は、後者を前者の上に基礎附け、同時に全体の構造を会得する可能性に懸(かか)っている。さて「いき」の客観的表現は、自然形式としての表現、すなわち自然的表現と、芸術形式としての表現、すなわち芸術的表現との二つに区別することができる。この両表現形式がはたして截然(せつぜん)たる区別を許すかの問題{1}、すなわち自然形式とは畢竟(ひっきょう)芸術形式にほかならないのではないかという問題は極めて興味ある問題であるが、今はその問題には触れずに、単に便宜上、通俗の考え方に従って自然形式と芸術形式との二つに分けてみる。まず自然形式としての表現について考えてみよう。自然形式といえば、いわゆる「象徴的感情移入」の形で自然界に自然象徴を見る場合、たとえば柳や小雨を「いき」と感ずるごとき場合をも意味し得るが、ここでは特に「本来的感情移入」の範囲に属する身体的発表を自然形式と考えておく。
 身体的発表としての「いき」の自然形式は、聴覚としてはまず言葉づかい、すなわちものの言振(いいぶ)りに表われる。「男へ対しそのものいひは、あまえずして色気あり」とか「言(こと)の葉草(はぐさ)も野暮ならぬ」とかいう場合がそれであるが、この種の「いき」は普通は一語の発音の仕方、語尾の抑揚などに特色をもってくる。すなわち、一語を普通よりもやや長く引いて発音し、しかる後、急に抑揚を附けて言い切ることは言葉遣(ことばづかい)としての「いき」の基礎をなしている。この際、長く引いて発音した部分と、急に言い切った部分とに、言葉のリズムの上の二元的対立が存在し、かつ、この二元的対立が「いき」のうちの媚態(びたい)の二元性の客観的表現と解される。音声としては、甲走(かんばし)った最高音よりも、ややさびの加わった次高音の方が「いき」である。そうして、言葉のリズムの二元的対立が次高音によって構成された場合に、「いき」の質料因と形相因とが完全に客観化されるのである。しかし、身体的発表としての「いき」の表現の自然形式は視覚において最も明瞭なかつ多様な形で見られる{2}。
 視覚に関する自然形式としての表現とは、姿勢、身振(みぶり)その他を含めた広義の表情と、その表情の支持者たる基体とを指していうのである。まず、全身に関しては、姿勢を軽く崩すことが「いき」の表現である。鳥居清長(とりいきよなが)の絵には、男姿、女姿、立姿、居姿、後姿、前向、横向などあらゆる意味において、またあらゆるニュアンスにおいて、この表情が驚くべき感受性をもって捉(とら)えてある。「いき」の質料因たる二元性としての媚態は、姿体の一元的平衡(へいこう)を破ることによって、異性へ向う能動性および異性を迎うる受動性を表現する。しかし「いき」の形相因たる非現実的理想性は、一元的平衡の破却に抑制と節度とを加えて、放縦なる二元性の措定(そてい)を妨止(ぼうし)する。「白楊の枝の上で体をゆすぶる」セイレネスの妖態(ようたい)や「サチロス仲間に気に入る」バックス祭尼の狂態、すなわち腰部を左右に振って現実の露骨のうちに演ずる西洋流の媚態は、「いき」とは極めて縁遠い。「いき」は異性への方向をほのかに暗示するものである。姿勢の相称性が打破せらるる場合に、中央の垂直線が、曲線への推移において、非現実的理想主義を自覚することが、「いき」の表現としては重要なことである。
 なお、全身に関して「いき」の表現と見られるのはうすものを身に纏うことである。「明石(あかし)からほのぼのとすく緋縮緬(ひぢりめん)」という句があるが、明石縮(あかしちぢみ)を着た女の緋の襦袢(じゅばん)が透いて見えることをいっている。うすもののモティーフはしばしば浮世絵にも見られる。そうしてこの場合、「いき」の質料因と形相因との関係が、うすものの透かしによる異性への通路開放と、うすものの覆(おお)いによる通路封鎖として表現されている。メディチのヴェヌスは裸体に加えた両手の位置によって特に媚態を言表しているが、言表の仕方があまりにあからさまに過ぎて「いき」とはいえない。また、巴里(パリ)のルヴューに見る裸体が「いき」に対して何らの関心をももっていないことはいうまでもない。
 「いき」な姿としては湯上り姿もある。裸体を回想として近接の過去にもち、あっさりした浴衣(ゆかた)を無造作(むぞうさ)に着ているところに、媚態とその形相因とが表現を完(まっと)うしている。「いつも立寄る湯帰りの、姿も粋な」とは『春色辰巳園(しゅんしょくたつみのその)』の米八(よねはち)だけに限ったことではない。「垢抜(あかぬけ)」した湯上り姿は浮世絵にも多い画面である。春信(はるのぶ)も湯上り姿を描いた。それのみならず、既に紅絵(べにえ)時代においてさえ奥村政信(おくむらまさのぶ)や鳥居清満(とりいきよみつ)などによって画かれていることを思えば、いかに特殊の価値をもっているかがわかる。歌麿(うたまろ)も『婦女相学十躰(ふじょそうがくじったい)』の一つとして浴後の女を描くことを忘れなかった。しかるに西洋の絵画では、湯に入っている女の裸体姿は往々あるにかかわらず、湯上り姿はほとんど見出すことができない。
 表情の支持者たる基体についていえば、姿が細っそりして柳腰であることが、「いき」の客観的表現の一と考え得る。この点についてほとんど狂信的な信念を声明しているのは歌麿である。また、文化文政(ぶんかぶんせい)の美人の典型も元禄(げんろく)美人に対して特にこの点を主張した。『浮世風呂』に「細くて、お綺麗(きれい)で、意気で」という形容詞の一聯がある。「いき」の形相因は非現実的理想性である。一般に非現実性、理想性を客観的に表現しようとすれば、いきおい細長い形を取ってくる。細長い形状は、肉の衰えを示すとともに霊の力を語る。精神自体を表現しようとしたグレコは、細長い絵ばかり描いた。ゴシックの彫刻も細長いことを特徴としている。我々の想像する幽霊も常に細長い形をもっている。「いき」が霊化された媚態である限り、「いき」な姿は細っそりしていなくてはならぬ。
 以上は全身に関する「いき」であったが、なお顔面に関しても、基体としての顔面と、顔面の表情との二方面に「いき」が表現される。基体としての顔面、すなわち顔面の構造の上からは、一般的にいえば丸顔よりも細おもての方が「いき」に適合している。「当世顔は少し丸く」と西鶴(さいかく)が言った元禄の理想の豊麗(ほうれい)な丸顔に対して、文化文政が細面(ほそおもて)の瀟洒(しょうしゃ)を善(よ)しとしたことは、それを証している。そうして、その理由が、姿全体の場合と同様の根拠に立っているのはいうまでもない。
 顔面の表情が「いき」なるためには、眼と口と頬とに弛緩と緊張とを要する。これも全身の姿勢に軽微な平衡(へいこう)破却(はきゃく)が必要であったのと同じ理由から理解できる。眼については、流眄(りゅうべん)が媚態の普通の表現である。流眄、すなわち流し目とは、瞳(ひとみ)の運動によって、媚(こび)を異性にむかって流し遣(や)ることである。その様態化としては、横目、上目(うわめ)、伏目(ふしめ)がある。側面に異性を置いて横目を送るのも媚であり、下を向いて上目ごしに正面の異性を見るのも媚である。伏目もまた異性に対して色気ある恥かしさを暗示する点で媚の手段に用いられる。これらのすべてに共通するところは、異性への運動を示すために、眼の平衡を破って常態を崩すことである。しかし、単に「色目」だけでは未(ま)だ「いき」ではない。「いき」であるためには、なお眼が過去の潤いを想起させるだけの一種の光沢を帯び、瞳はかろらかな諦(あきら)めと凛乎(りんこ)とした張りとを無言のうちに有力に語っていなければならぬ。口は、異性間の通路としての現実性を具備していることと、運動について大なる可能性をもっていることとに基づいて、「いき」の表現たる弛緩(しかん)と緊張(きんちょう)とを極めて明瞭な形で示し得るものである。「いき」の無目的な目的は、唇(くちびる)の微動のリズムに客観化される。そうして口紅は唇の重要性に印を押している。頬は、微笑の音階を司(つかさど)っている点で、表情上重要なものである。微笑としての「いき」は、快活な長音階よりはむしろやや悲調を帯びた短音階を択(えら)ぶのが普通である。西鶴は頬の色の「薄花桜」であることを重要視しているが、「いき」な頬は吉井勇(よしいいさむ)が「うつくしき女なれども小夜子(さよこ)はも凄艶(せいえん)なれば秋にたとへむ」といっているような秋の色を帯びる傾向をもっている。要するに顔面における「いき」の表現は、片目を塞(ふさ)いだり、口部を突出させたり、「双頬(そうきょう)でジャズを演奏する」などの西洋流の野暮さと絶縁することを予件としている。
 なお一般に顔の粧(よそお)いに関しては、薄化粧が「いき」の表現と考えられる。江戸時代には京阪の女は濃艶な厚化粧(あつげしょう)を施したが、江戸ではそれを野暮と卑(いや)しんだ。江戸の遊女や芸者が「婀娜(あだ)」といって貴(たっと)んだのも薄化粧のことである。「あらひ粉にて磨きあげたる貌(かお)へ、仙女香をすりこみし薄化粧は、ことさらに奥ゆかし」と春水もいっている。また西沢李叟(にしざわりそう)は江戸の化粧に関して「上方(かみがた)の如く白粉(おしろい)べたべたと塗る事なく、至つて薄く目立たぬをよしとす、元来女は男めきたる気性ある所の故(ゆえ)なるべし」といっている。「いき」の質料因と形相因とが、化粧を施すという媚態の言表と、その化粧を暗示に止(とど)めるという理想性の措定(そてい)とに表われている。
 髪は略式のものが「いき」を表現する。文化文政には正式な髪(かみ)は丸髷(まるまげ)と島田髷(しまだまげ)とであった。かつ島田髷としてはほとんど文金高髷(ぶんきんたかまげ)に限られた。これに反して、「いき」と見られた結振(ゆいぶ)りは銀杏髷(いちょうまげ)、楽屋結(がくやゆい)など略式の髪か、さもなくば島田でも潰(つぶ)し島田、投げ島田など正形の崩れたものであった。また特に粋を標榜(ひょうぼう)していた深川の辰巳風俗としては、油を用いない水髪が喜ばれた。「後ろを引詰(ひっつ)め、たぼは上の方へあげて水髪にふつくりと少し出し」た姿は、「他所(よそ)へ出してもあたま許(ばか)りで辰巳仕入と見えたり」と『船頭深話(せんどうしんわ)』はいっている。正式な平衡を破って、髪の形を崩すところに異性へ向って動く二元的「媚態」が表われてくる。またその崩し方が軽妙である点に「垢抜」が表現される。「結ひそそくれしおくれ髪」や「ゆふべほつるる鬢(びん)の毛」がもつ「いき」も同じ理由から来ている。しかるにメリサンドが長い髪を窓外のペレアスに投げかける所作(しょさ)には「いき」なところは少しもない。また一般にブロンドの髪のけばけばしい黄金色よりは、黒髪のみどりの方が「いき」の表現に適合性をもっている。
 なお「いき」なものとしては抜き衣紋が江戸時代から屋敷方以外で一般に流行した。襟足(えりあし)を見せるところに媚態がある。喜田川守貞(きたがわもりさだ)の『近世風俗志』に「首筋に白粉ぬること一本足と号(い)つて、際立(きわだ)たす」といい、また特に遊女、町芸者の白粉について「頸(くび)は極(きわめ)て濃粧す」といっている。そうして首筋の濃粧は主として抜(ぬ)き衣紋(えもん)の媚態を強調するためであった。この抜き衣紋が「いき」の表現となる理由は、衣紋の平衡を軽く崩し、異性に対して肌への通路をほのかに暗示する点に存している。また、西洋のデコルテのように、肩から胸部と背部との一帯を露出する野暮に陥らないところは、抜き衣紋の「いき」としての味があるのである。
 左褄を取ることも「いき」の表現である。「歩く拍子(ひょうし)に紅(もみ)のはつちと浅黄縮緬(あさぎちりめん)の下帯(したおび)がひらりひらりと見え」とか「肌の雪と白き浴衣(ゆかた)の間にちらつく緋縮緬の湯もじを蹴出(けだ)すうつくしさ」とかは、確かに「いき」の条件に適(かな)っているに相違ない。『春告鳥(はるつげどり)』の中で「入り来(きた)る婀娜者(あだもの)」は「褄(つま)をとつて白き足を見せ」ている。浮世絵師も種々の方法によって脛(はぎ)を露出させている。そうして、およそ裾(すそ)さばきのもつ媚態をほのかな形で象徴化したものがすなわち左褄(ひだりづま)である。西洋近来の流行が、一方には裾を短くしてほとんど膝(ひざ)まで出し、他方には肉色の靴下をはいて錯覚の効果を予期しているのに比して、「ちよいと手がるく褄をとり」というのは、遙(はる)かに媚態としての繊巧(せんこう)を示している。
 素足もまた「いき」の表現となる場合がある。「素足(すあし)も、野暮な足袋(たび)ほしき、寒さもつらや」といいながら、江戸芸者は冬も素足を習(ならい)とした。粋者(すいしゃ)の間にはそれを真似(まね)て足袋を履(は)かない者も多かったという。着物に包んだ全身に対して足だけを露出させるのは、確かに媚態の二元性を表わしている。しかし、この着物と素足との関係は、全身を裸にして足だけに靴下または靴を履く西洋風の露骨さと反対の方向を採(と)っている。そこにまた素足の「いき」たる所以(ゆえん)がある。
 手は媚態と深い関係をもっている。「いき」の無関心な遊戯が男を魅惑する「手管(てくだ)」は、単に「手附(てつき)」に存する場合も決して少なくない。「いき」な手附は手を軽く反らせることや曲げることのニュアンスのうちに見られる。歌麿の絵のうちには、全体の重心が手一つに置かれているのがある。しかし、更に一歩を進めて、手は顔に次いで、個人の性格を表わし、過去の体験を語るものである。我々はロダンが何故(なにゆえ)にしばしば手だけを作ったかを考えてみなければならぬ。手判断は決して無意味なものではない。指先まで響いている余韻によって魂そのものを判断するのは不可能ではない。そうして、手が「いき」の表現となり得る可能性も畢竟(ひっきょう)この一点に懸(かか)っている。
 以上、「いき」の身体的発表{3}を、特にその視覚的発表を、全身、顔面、頭部、頸(くび)、脛(はぎ)、足、手について考察した。およそ意識現象としての「いき」は、異性に対する二元的措定(そてい)としての媚態が、理想主義的非現実性によって完成されたものであった。その客観的表現である自然形式の要点は、一元的平衡を軽妙に打破して二元性を暗示するという形を採(と)るものとして闡明(せんめい)された。そうして、平衡を打破して二元性を措定する点に「いき」の質料因たる媚態が表現され、打破の仕方のもつ性格に形相因たる理想主義的非現実性が認められた。

 {1}この問題に関しては、Utitz, Grundlegung der allgemeinen Kunstwissenschaft, 1914, I, S. 74ff. および Volkelt, System der Aesthetik, 1925, III, S. 3f. 参照。
 {2}味覚、嗅覚(きゅうかく)、触覚に関する「いき」は、「いき」の構造を理解するために相当の重要性をもっている。味覚としての「いき」については、次のことがいえる。第一に、「いき」な味とは、味覚が味覚だけで独立したような単純なものではない。米八が『春色(しゅんしょく)恵(めぐみ)の花(はな)』のうちで「そんな色気のないものをたべて」と貶(けな)した「附焼団子(つけやきだんご)」は味覚の効果をほとんど味覚だけに限っている。「いき」な味とは、味覚の上に、例えば「きのめ」や柚(ゆず)の嗅覚や、山椒(さんしょ)や山葵(わさび)の触覚のようなものの加わった、刺戟(しげき)の強い、複雑なものである。第二の点として、「いき」な味は、濃厚なものではない。淡白なものである。味覚としての「いき」は「けもの店(だな)の山鯨(やまくじら)」よりも「永代(えいたい)の白魚(しらうお)」の方向に、「あなごの天麩羅(てんぷら)」よりも「目川(めがわ)の田楽(でんがく)」の方向に索(もと)めて行かなければならない。要するに「いき」な味とは、味覚のほかに嗅覚や触覚も共に働いて有機体に強い刺戟を与えるもの、しかも、あっさりした淡白なものである。しかしながら、味覚、嗅覚、触覚などは身体的発表として「いき」の表現となるのではない。「象徴的感情移入」によって一種の自然象徴が現出されるに過ぎない。身体的発表としての「いき」の自然形式は、聴覚と視覚に関するものと考えて差支ないであろう。そうして視覚に関してはアリストテレスが『形而上学(けいじじょうがく)』の巻頭にいっている言葉がここにも妥当する。曰(いわ)く「この感覚は他の感覚よりも我々にものを最もよく認識させ、また多くの差異を示す」(Aristoteles, Metaphysica A 1, 980a)
 {3}「いき」の身体的発表はおのずから舞踊へ移って行く。その推移には何らの作為も無理もない。舞踊となったときに初めて芸術と名付けて、身振と舞踊との間に境界を立てることにかえって作為と無理とがある。アルベール・メーボンはその著『日本の演劇』のうちで、日本の芸者が「装飾的および叙述的身振に巧妙である」ことを語った後に、日本の舞踊に関して次のようにいっている。「身振によって思想および感情を翻訳することについては日本派のもっている知識は無尽蔵である。……足と脛(はぎ)とは拍子の主調を明らかにし、かつ保つ役をする。躯幹(くかん)、肩、頸、首、腕、手、指は心的表現の道具である」(Albert Maybon, Le thtre japonais, 1925, pp. 75-76)。我々はいま便宜上、「いき」の身体的発表を自然形式と見て、舞踊から離して取扱った。しかし、なおこの上に舞踊のうちにあらわれている「いき」の芸術形式を考察することは、おそらく「いき」の自然形式の考察を繰返すことに終るか、またはそれに些少(さしょう)の変更を加えるに止(とど)まるであろう。

「いき」の芸術的表現

    五「いき」の芸術的表現

 「いき」の芸術形式の考察に移らなければならぬ。「いき」の表現と芸術との関係は、客観的芸術と主観的芸術とによって表現の仕方に著しい差異がある。およそ芸術は、表現の手段によって空間芸術と時間芸術とに分け得るほかに、表現の対象によって主観的芸術と客観的芸術とに分け得る。芸術が客観的であるというのは、芸術の内容が具体的表象そのものに規定される場合である。主観的であるとは、具体的表象に規定されず、芸術の形成原理が自由に抽象的に作動する場合である。絵画、彫刻、詩は前者に属し、模様、建築、音楽は後者に属する。前者は模倣芸術と呼ばれ、後者は自由芸術と呼ばれることもある。さて、客観的芸術にあっては、意識現象としての「いき」、または客観的表現の自然形式としての「いき」が、具体的な形のままで芸術の内容を形成して来る。すなわち、絵画および彫刻は「いき」の表現の自然形式をそのまま内容として表出することができる。さきに「いき」な身振または表情を述べた時に、しばしば浮世絵の例を引くことができたのはそのためである。また広義の詩、すなわち文学的生産一般は「いき」の表情、身振を描写し得るほかに、意識現象としての「いき」を描写することができる。さきに意識現象としての「いき」の闡明(せんめい)に際して、文学上の例に拠(よ)ることのできた理由はそこにある。しかしながら、客観的芸術がかように「いき」を内容として取扱う可能性を有することは、純粋なる芸術形式としての「いき」の完全なる成立には妨害をする。既に内容として具体的な「いき」を取扱っているから、「いき」を芸術形式として客観化することにはさほどの関心と要求とを感じないのである。もとより、客観的、主観的の別は、必ずしも厳密には立てられないむしろ便宜上の区別であるから、いわゆる客観的芸術にあっても「いき」の芸術形式が形成原理として全然存在しないことはない。たとえば、絵画については輪廓(りんかく)本位の線画であること、色彩が濃厚でないこと、構図の煩雑(はんざつ)でないことなどが「いき」の表現に適合する形式上の条件となり得る。また、詩、すなわち文学的生産にあっては、特に狭義の詩のうちに、リズムの性質において、「いき」の芸術形式を索(もと)め得ないことはない。俳句のリズムと都々逸(どどいつ)のリズムとが、「いき」の表現に対していかなる関係を有するかは問題として考察することができる。しかし、いわゆる客観的芸術にあっては、「いき」の芸術形式は必ずしも鮮明な一義的な形をもっては表われていない。それに反して、主観的芸術は具体的な「いき」を内容として取扱う可能性を多くもたないために、抽象的な形式そのものに表現の全責任を託し、その結果、「いき」の芸術形式はかえって鮮やかな形をもって表われてくるのである。したがって「いき」の表現の芸術形式は主として主観的芸術、すなわち自由芸術の形成原理のうちに索(もと)めなければならぬ。
 自由芸術として第一に模様は「いき」の表現と重大な関係をもっている。しからば、模様としての「いき」の客観化はいかなる形を取っているか。まず何らか「媚態」の二元性が表わされていなければならぬ。またその二元性は「意気地」と「諦(あきら)め」の客観化として一定の性格を備えて表現されていることを要する。さて、幾何学的図形としては、平行線ほど二元性を善く表わしているものはない。永遠に動きつつ永遠に交わらざる平行線は、二元性の最も純粋なる視覚的客観化である。模様として縞(しま)が「いき」と看做(みな)されるのは決して偶然ではない。『昔々物語』によれば、昔は普通の女が縫箔(ぬいはく)の小袖(こそで)を着るに対して、遊女が縞物を着たという。天明(てんめい)に至って武家(ぶけ)に縞物着用が公許されている。そうして、文化文政(ぶんかぶんせい)の遊士通客は縞縮緬(しまちりめん)を最も好んだ。『春告鳥』は「主女に対する客人のいで立ち」を叙して「上着(うわぎ)は媚茶(こびちゃ)の……縞の南部縮緬、羽織(はおり)は唐桟(とうざん)の……ごまがら縞、……その外(ほか)持物懐中もの、これに準じて意気なることと、知りたまふべし」といっている。また『春色梅暦』では、丹次郎(たんじろう)を尋(たず)ねて来る米八(よねはち)の衣裳(いしょう)について「上田太織(うえだふとり)の鼠の棒縞、黒の小柳に紫の山まゆ縞の縮緬を鯨帯(くじらおび)とし」と書いてある。しからば、いかなる種類の縞が特に「いき」であろうか。
 まず、横縞よりも縦縞の方が「いき」であるといえる。着物の縞柄(しまがら)としては宝暦(ほうれき)ごろまでは横縞よりなかった。縞のことを織筋(おりすじ)といったが、織筋は横を意味していた。「熨斗目(のしめ)」の腰に織り出してある横縞や、「取染(とりぞめ)」の横筋はいずれも宝暦前の趣味である。しかるに、宝暦、明和(めいわ)ごろから縦縞が流行し出して、文化文政には縦縞のみが専ら用いられるようになった。縦縞は文化文政の「いき」な趣味を表わしている。しからば何故(なにゆえ)、横縞よりも縦縞の方が「いき」であるのか。その理由の一つとしては、横縞よりも縦縞の方が平行線を平行線として容易に知覚させるということがあるであろう。両眼の位置は左右に、水平に並んでいるから、やはり左右に、水平に平行関係の基礎の存するもの、すなわち左右に並んで垂直に走る縦縞の方が容易に平行線として知覚される。平行関係の基礎が上下に、垂直に存して水平に走る横縞を、平行線として知覚するには両眼は多少の努力を要する。換言すれば、両眼の位置に基づいて、水平は一般に事物の離合関係を明瞭(めいりょう)に表わすものである。したがって、縦縞にあっては二線の乖離的(かいりてき)対立が明晰(めいせき)に意識され、横縞にあっては一線の継起的(けいきてき)連続が判明に意識されるのである。すなわち縦縞の方が二元性の把握(はあく)に適合した性質をもっている。なおまた、他の理由としては、重力の関係もあるに相違ない。横縞には重力に抗して静止する地層の重味がある。縦縞には重力とともに落下する小雨や「柳条」の軽味がある。またそれに関連して、横縞は左右に延びて場面の幅を広く太く見せ、縦縞は上下に走って場面を細長く見せる。要するに、横縞よりも縦縞の方が「いき」であるのは、平行線としての二元性が一層明瞭に表われているためと、軽巧精粋(けいこうせいすい)の味が一層多く出ているためであろう。もっとも、横縞が特に「いき」と感ぜられる場合もないことはない。しかしそれは種々特殊な制約の下(もと)においてである。第一に、そういう場合は、縦縞と相対的関係をもっている。すなわち、縦縞にくくりを附けているようなときに、横縞は特に「いき」と感ぜられる。例えば縦縞の着物に対して横縞の帯を用いるとか、下駄(げた)の木目(もくめ)または塗り方に縦縞が表われているとき緒(お)に横縞を用いるとかいうような場合である。第二に、場面全体の形状と相対的関係をもっている。例えば、すらりとした姿の女が横縞の着物を着たような場合、その横縞は特に「いき」である。およそ横縞は場面を広く太く見せるから、肥(ふと)った女は横縞の着物を着るに堪(た)えない。それに反して、すらりと細い女には横縞の着物もよく似合うのである。しかし横縞そのものが縦縞より「いき」であるのではない。全身の基体において既に「いき」の特徴をもった人間が、横縞に背景を提供するときに初めて、横縞が特に「いき」となるのである。第三に、感覚および感情の耐時性と関係している。すなわち、縦縞が感覚および感情にとってあまりに陳腐(ちんぷ)なものとなってしまった場合、換言すれば感覚および感情が縦縞に対して鈍痲(どんま)した場合に、横縞が清新な味をもって特に「いき」と感ぜられることが可能である。最近、流行界における横縞の復興が、横縞のうちに特に「いき」の性質を見させる傾向をもっているのは、主としてこの理由に基づいている。縦縞と横縞との「いき」に対する関係を考察するためには、これら種々の特殊な制約を全く離れて、両者の縞模様としての絶対価値について判断がなされなければならない。なお、縦縞のうちでは万筋(まんすじ)、千筋(せんすじ)の如く細密を極(きわ)めたものや、子持縞(こもちじま)、やたら縞のごとく筋の大小広狭にあまり変化の多いものは、平行線としての二元性が明瞭を欠くために「いき」の効果を十分に奏しない。「いき」であるためには、縞が適宜の荒さと単純さとを備えて、二元性が明晰(めいせき)に把握されることが肝要である。
 垂直の平行線と水平の平行線とが結合した場合は、模様として縦横縞が生じてくる。縦横縞は概して縦縞よりも横縞よりも「いき」でない。平行線の把握が容易の度を減じたからである。縦横縞のうちでも縞の荒いいわゆる碁盤縞(ごばんじま)は「いき」の表現であり得ることがある。しかしそのためには、我々の眼が水平の平行線の障碍(しょうがい)を苦にしないで、垂直の平行線の二元性をひとむきに追うことが必要である。碁盤縞がそのまま左右いずれへか回転して、垂直線と四十五度の角をなして静止した場合、すなわち、垂直の平行線と水平の平行線とが垂直性および水平性を失って共に斜(ななめ)に平行線の二系統を形成する場合、碁盤縞はその具有していた「いき」を失うのを常とする。何故(なぜ)ならば、眼はもはや、平行線の二元性を停滞なく追求することができないで、正面より直視する限りは、系統を異(こと)にする二様の平行線の交点のみを注視するようになるからである。なお、正方形の碁盤縞が長方形に変じた場合は格子縞(こうしじま)となる。格子縞はその細長さによってしばしば碁盤縞よりも「いき」である。
 縞の或る部分をかすり取る場合に、かすり取られた部分が縞に対して比較的微小なるときは、縞筋にかすりを交えた形となり、比較的強大なるときは、いわゆる絣(かすり)を生ずる。この種の模様が「いき」に対する関係は、抹殺を免れた縞の部分的存在がいかなる程度で平行線の無限的二元性を暗示し得るかに帰する。
 縞模様のうちでも放射状に一点に集中した縞は「いき」ではない。例えば轆轤(ろくろ)に集中する傘の骨、要(かなめ)に向って走る扇(おうぎ)の骨、中心を有する蜘蛛(くも)の巣、光を四方へ射出する旭日(きょくじつ)などから暗示を得た縞模様は「いき」の表現とはならない。「いき」を現わすには無関心性、無目的性が視覚上にあらわれていなければならぬ。放射状の縞は中心点に集まって目的を達してしまっている。それ故に「いき」とは感ぜられない。もしこの種の縞が「いき」と感ぜられるときがあるとすれば、放射性が覆(おお)われて平行線であるかのごとき錯覚を伴う場合である。
 模様が平行線としての縞から遠ざかるに従って、次第に「いき」からも遠ざかる。枡(ます)、目結(めゆい)、雷(らい)、源氏香図(げんじこうず)などの模様は、平行線として知覚されることが必ずしも不可能でない。殊に縦に連繋(れんけい)した場合がそうである。したがってまた「いき」である可能性をもっている。しかるに、籠目(かごめ)、麻葉(あさのは)、鱗(うろこ)などの模様は、三角形によって成立するために「いき」からは遠ざかって行く。なお一般に複雑な模様は「いき」でない。亀甲(きっこう)模様は三対の平行線の組合せとして六角形を示しているが、「いき」であるには煩雑(はんざつ)に過ぎる。万字(まんじ)は垂直線と水平線との結合した十字形の先端が直角状に屈折しているので複雑な感を与える。したがって模様としては万字繋(まんじつなぎ)は「いき」ではない。亜字(あじ)模様に至ってはますます複雑である。亜字は支那(シナ)太古の官服の模様として「取臣民背悪向善、亦取合離之義去就之義」といわれているが、勧善懲悪(かんぜんちょうあく)や合離去就(ごうりきょしゅう)があまり執拗(しつよう)に象徴化され過ぎている。直角的屈折を六回までもして「両己相背(りょうこあいそむ)」いている亜字には、瀟洒(しょうしゃ)なところは微塵(みじん)もない。亜字模様は支那趣味の悪い方面を代表して、「いき」とは正反対のものである。
 次に一般に曲線を有する模様は、すっきりした「いき」の表現とはならないのが普通である。格子縞に曲線が螺旋状(らせんじょう)に絡(から)み付けられた場合、格子縞は「いき」の多くを失ってしまう。縦縞が全体に波状曲線になっている場合も「いき」を見出すことは稀(まれ)である。直線から成る割菱(わりびし)模様が曲線化して花菱模様に変ずるとき、模様は「派手(はで)」にはなるが「いき」は跡形(あとかた)もなくなる。扇紋(おうぎもん)は畳扇(たたみおうぎ)として直線のみで成立している間は「いき」をもち得ないことはないが、開扇(ひらきおうぎ)として弧(こ)を描くと同時に「いき」は薫(かおり)をさえも留(とど)めない。また、奈良朝以前から見られる唐草(からくさ)模様は蕨手(わらびで)に巻曲した線を有するため、天平(てんぴょう)時代の唐花(からはな)模様も大体曲線から成立しているため、「いき」とは甚だ縁遠いものである。藤原時代の輪違(わちがい)模様、桃山(ももやま)から元禄(げんろく)へかけて流行した丸尽(まるづく)し模様なども同様に曲線であるために「いき」の条件に適合しない。元来、曲線は視線の運動に合致しているため、把握(はあく)が軽易で、眼に快感を与えるものとされている。またこの理由に基づいて、波状線の絶対美を説く者もある。しかし、曲線は、すっきりした、意気地ある「いき」の表現には適しない。「すべての温かいもの、すべての愛は円か楕円(だえん)かの形をもち、螺旋状その他の曲線を描いてゆく。冷たいもの、無関心なもののみが直線で稜(りょう)をもつ。兵隊を縦列に配置しないで環状に組立てたならば、闘争をしないで舞踏(ぶとう)をするであろう{1}」といった者がある。しかし、「いき」のうちには「慮外(りょがい)ながら揚巻(あげまき)で御座(ござ)んす」という、曲線では表わせない峻厳(しゅんげん)なところがある。冷たい無関心がある。「いき」の芸術形式がいわゆる「美的小{2}」と異なった方向に赴(おもむ)くものであることは、これによってもおのずから明白である。
 なお幾何学的模様に対して絵画的模様なるものは決して「いき」ではない。「金銀にて蝶々(ちょうちょう)を縫(ぬ)ひし野暮なる半襟(はんえり)をかけ」と『春告鳥』にもある。三筋の糸を垂直に場面の上から下まで描き、その側に三筋の柳の枝を垂らし、糸の下部に三味線(しゃみせん)の撥(ばち)を添え、柳の枝には桜の花を三つばかり交えた模様を見たことがある。描かれた内容自身から、また平行線の応用から推(お)して「いき」な模様でありそうであるが、実際の印象は何ら「いき」なところのない極めて上品なものであった。絵画的模様はその性質上、二元性をすっきりと言表わすという可能性を、幾何学的模様ほどにはもっていない。絵画的模様が模様として「いき」であり得ない理由はその点に存している。光琳(こうりん)模様、光悦(こうえつ)模様などが「いき」でないわけも主としてこの点によっている。「いき」が模様として客観化されるのは幾何学的模様のうちにおいてである。また幾何学的模様が真の意味の模様である。すなわち、現実界の具体的表象に規定されないで、自由に形式を創造する自由芸術の意味は、模様としては、幾何学的模様にのみ存している。
 模様の形式は形状のほかになお色彩の方面をもっている。碁盤縞が市松(いちまつ)模様となるのは碁盤の目が二種の異なった色彩によって交互に充填(じゅうてん)されるからである。しからば模様のもつ色彩はいかなる場合に「いき」であるか。まず、西鶴(さいかく)のいわゆる「十二色のたたみ帯」、だんだら染、友禅染(ゆうぜんぞめ)など元禄時代に起ったものに見られるようなあまり雑多な色取(いろどり)をもつことは「いき」ではない。形状と色彩との関係は、色調を異にした二色または三色の対比作用によって形状上の二元性を色彩上にも言表わすか、または一色の濃淡の差あるいは一定の飽和度(ほうわど)における一色が形状上の二元的対立に特殊な情調を与える役を演ずるかである。しからばその際用いられる色はいかなる色であるかというに、「いき」を表わすのは決して派手な色ではあり得ない{3}。「いき」の表現として色彩は二元性を低声に主張するものでなければならぬ。『春色恋白浪(しゅんしょくこいのしらなみ)』に「鼠色の御召縮緬(おめしちりめん)に黄柄茶の糸を以て細く小さく碁盤格子を織出(いだ)したる上着、……帯は古風な本国織(ほんごくおり)に紺博多(はかた)の独鈷(とっこ)なし媚茶の二本筋を織たるとを腹合せに縫ひたるを結び、……衣裳(いしょう)の袖口(そでぐち)は上着下着ともに松葉色の様なる御納戸の繻子(しゅす)を付け仕立も念を入(いれ)て申分なく」という描写がある。このうちに出てくる色彩は三つの系統に属している。すなわち、第一に鼠色、第二に褐色系統の黄柄茶(きがらちゃ)と媚茶(こびちゃ)、第三に青系統の紺(こん)と御納戸(おなんど)とである。また『春告鳥』に「御納戸と媚茶と鼠色の染分けにせし、五分ほどの手綱染(たづなぞめ)の前垂(まえだれ)」その他のことを叙した後に「意気なこしらへで御座いませう」といってある。「いき」な色彩とは、まず灰色、褐色、青色の三系統のいずれにか属するものと考えて差支ないであろう。
 第一に、鼠色は「深川(ふかがわ)ねずみ辰巳(たつみ)ふう」といわれるように「いき」なものである。鼠色、すなわち灰色は白から黒に推移する無色感覚の段階である。そうして、色彩感覚のすべての色調が飽和の度を減じた究極は灰色になってしまう。灰色は飽和度の減少、すなわち色の淡さそのものを表わしている光覚である。「いき」のうちの「諦(あきら)め」を色彩として表わせば灰色ほど適切なものはほかにない。それ故に灰色は江戸時代から深川鼠、銀鼠(ぎんねず)、藍鼠(あいねず)、漆鼠(うるしねず)、紅掛鼠(べにかけねず)など種々のニュアンスにおいて「いき」な色として貴ばれた。もとより色彩だけを抽象して考える場合には、灰色はあまりに「色気」がなくて「いき」の媚態(びたい)を表わし得ないであろう。メフィストの言うように「生」に背(そむ)いた「理論」の色に過ぎないかもしれぬ。しかし具体的な模様においては、灰色は必ず二元性を主張する形状に伴っている。そうしてその場合、多くは形状が「いき」の質料因たる二元的媚態を表わし、灰色が形相因たる理想主義的非現実性を表わしているのである。
 第二に、褐色すなわち茶色ほど「いき」として好まれる色はほかにないであろう。「思ひそめ茶の江戸褄(えどづま)に」という言葉にも表われている。また茶色は種々の色調に応じて実に無数の名で呼ばれている。江戸時代に用いられた名称を挙げても、まず色そのものの抽象的性質によって名附けたものには、白茶(しらちゃ)、御納戸茶(おなんどちゃ)、黄柄茶(きがらちゃ)、燻茶(ふすべちゃ)、焦茶(こげちゃ)、媚茶(こびちゃ)、千歳茶(ちとせちゃ)などがあり、色をもつ対象の側(がわ)から名附けたものには、鶯茶(うぐいすちゃ)、鶸茶(ひわちゃ)、鳶色(とびいろ)、煤竹色(すすだけいろ)、銀煤色、栗色、栗梅、栗皮茶、丁子茶(ちょうじちゃ)、素海松茶(すみるちゃ)、藍(あい)海松茶、かわらけ茶などがあり、また一定の色合を嗜好(しこう)する俳優の名から来たものには、芝翫茶(しかんちゃ)、璃寛茶(りかんちゃ)、市紅茶(しこうちゃ)、路考茶(ろこうちゃ)、梅幸茶(ばいこうちゃ)などがあった。しからば茶色とはいかなる色であるかというに、赤から橙(だいだい)を経て黄に至る派手(はで)やかな色調が、黒味を帯びて飽和の度の減じたものである。すなわち光度の減少の結果生じた色である。茶色が「いき」であるのは、一方に色調の華(はな)やかな性質と、他方に飽和度の減少とが、諦(あきら)めを知る媚態、垢抜(あかぬけ)した色気を表現しているからである。
 第三に、青系統の色は何故(なにゆえ)「いき」であるか。まず一般に飽和の減少していない鮮やかな色調としていかなる色が「いき」であるかということを考えてみるに、何らかの意味で黒味に適するような色調でなければならぬ。黒味に適する色とはいかなる色かというに、プールキンエの現象によって夕暮に適合する色よりほかには考えられない。赤、橙、黄は網膜(もうまく)の暗順応(あんじゅんのう)に添おうとしない色である。黒味を帯びてゆく[#底本の親本では「黒味を帯びゆく」とある]心には失われ行く色である。それに反して、緑、青、菫(すみれ)は魂の薄明視(はくめいし)に未だ残っている色である。それ故に、色調のみについていえば、赤、黄などいわゆる異化作用の色よりも、緑、青など同化作用の色の方が「いき」であるといい得る。また、赤系統の温色よりも、青中心の冷色の方が「いき」であるといっても差支ない。したがって紺や藍は「いき」であることができる。紫のうちでは赤勝(がち)の京紫よりも、青勝の江戸紫の方が「いき」と看做(みな)される。青より緑の方へ接近した色は「いき」であるためには普通は飽和の度と関係してくる。「松葉色の様なる御納戸」とか、木賊(とくさ)色とか、鶯色とかは、みな飽和度の減少によって特に「いき」の性質を備えているのである。
 要するに、「いき」な色とはいわば華(はな)やかな体験に伴う消極的残像である。「いき」は過去を擁して未来に生きている。個人的または社会的体験に基づいた冷(ひや)やかな知見が可能性としての「いき」を支配している。温色の興奮を味わい尽した魂が補色残像として冷色のうちに沈静を汲むのである。また、「いき」は色気のうちに色盲(しきもう)の灰色を蔵している。色に染(そ)みつつ色に泥(なず)まないのが「いき」である。「いき」は色っぽい肯定のうちに黒ずんだ否定を匿(かく)している。
 以上を概括すれば、「いき」が模様に客観化されるに当って形状と色彩との二契機を具備する場合には、形状としては、「いき」の質料因たる二元性を表現するために平行線が使用され、色彩としては、「いき」の形相因たる非現実的理想性を表現するために一般に黒味を帯びて飽和弱いものまたは冷たい色調が択(えら)ばれる。
 次に、模様と同じく自由芸術たる建築において、「いき」はいかなる芸術形式を取っているか。建築上の「いき」は茶屋建築に求めてゆかなければならぬが、まず茶屋建築の内部空間および外形の合目的的形成について考えてみる。およそ異性的特殊性の基礎は原本的意味においては多元を排除する二元である。そうして、二元のために、特に二元の隔在的(かくざいてき)沈潜のために形成さるる内部空間は、排他的完結性と求心的緊密性とを具現していなければならぬ。「四畳半(よじょうはん)の小座しきの、縁(えん)の障子(しょうじ)」は他の一切との縁を断って二元の超越的存在に「意気なしんねこ四畳半」を場所として提供する。すなわち茶屋の座敷としては「四畳半」が典型的と考えられ、この典型からあまり遠ざからないことが要求される。また、外形が内部空間の形成原理に間接に規定さるる限り、茶屋の外形全体は一定度の大きさを越えてはならない。このことを基礎的予件として、茶屋建築は「いき」の客観化をいかなる形式において示しているであろうか。
 「いき」な建築にあっては、内部外部の別なく、材料の選択と区劃の仕方によって、媚態の二元性が表現されている。材料上の二元性は木材と竹材との対照によって表わされる場合が最も多い。永井荷風は『江戸芸術論』のうちで次のような観察をしている。「家は腰高(こしだか)の塗骨障子(ぬりぼねしょうじ)を境にして居間と台所との二間のみなれど竹の濡縁(ぬれえん)の外(そと)には聊(ささや)かなる小庭ありと覚(おぼ)しく、手水鉢(ちょうずばち)のほとりより竹の板目(はめ)には蔦(つた)をからませ、高く釣りたる棚の上には植木鉢を置きたるに、猶(なお)表側の見付(みつき)を見れば入口の庇(ひさし)、戸袋、板目なぞも狭き処(ところ)を皆それぞれに意匠(いしょう)して網代(あじろ)、船板、洒竹などを用ゐ云々」。かつまた、「竹材を用ゆる事の範囲並(ならび)に其(そ)の美術的価値を論ずるは最も興味ある事」であると注意している。およそ竹材には「竹の色許由(きょゆう)がひさごまだ青し」とか「埋(うめ)られたおのが涙やまだら竹」というように、それ自身に情趣の深い色っぽさがある。しかし「いき」の表現としての竹材の使用は、主として木材との二元的対立に意味をもっている。なお竹のほかには杉皮も二元的対立の一方の項(こう)を成すものとして「いき」な建築が好んで用いる。「直(すぐ)な柱も杉皮附(すぎかわつき)、つくろはねどもおのづから、土地に合ひたる洒落造(しゃれづく)り」とは『春色辰巳園』巻頭の叙述である。
 室内の区劃の上に現わるる二元性としては、まず天井(てんじょう)と牀(ゆか)との対立が両者の材料上の相違によって強調される。天井に丸竹を並べたり、ひしぎ竹を列(つら)ねたりするいわゆる竹天井の主要なる任務は、この種の材料によって天井と牀との二元性を判明させることにある。天井を黒褐色の杉皮で張るのも、青畳との対比関係に関心を置いている。また、天井そのものも二元性を表わそうとすることが多い。例えば不均等に二分して、大なる部分を棹縁(さおぶち)天井となし、小なる部分を網代(あじろ)天井とする。或いは更に二元性を強調して、一部分には平(ひら)天井を用い、他の部分には懸込(かけこみ)天井を用いる。次に牀自身も二元性を表わそうとする。床(とこ)の間(ま)と畳とは二元的対立を明示していなければならない。それ故に、床框(とこがまち)の内部に畳または薄縁(うすべり)を敷くことは「いき」ではない。室全体の畳敷に対して床の間の二元性が対立の力を減ずるからである。床の間は床板を張って室内の他部と判明に対立することを要する、すなわち床の間が「いき」の条件を充(みた)すためには本床であってはならない。蹴込床(けこみどこ)または敷込床を択ぶべきである。また、「いき」な部屋では、床の間と床脇の違棚(ちがいだな)とにも二元的対立を見せる必要がある。例えば床板には黒褐色のものを用い、違棚の下前(したまえ)にはひしぎ竹の白黄色のものを敷く。それと同時に、床天井と棚天井とに竹籠編(たけかごあみ)と鏡天井とのごとき対立を見せる。そうして、この床脇の有無がしばしば、茶屋建築の「いき」と茶室建築の「渋味」との相違を表わしている。また床柱(とこばしら)と落掛(おとしがけ)との二元的対立の程度の相違にも、茶屋と茶室の構造上の差別が表われているのが普通である。
 しかしながら、「いき」な建築にあってはこれら二元性の主張はもとより煩雑(はんざつ)に陥ってはならない。なお一般に瀟洒(しょうしゃ)を要求する点において、しばしば「いき」な模様と同様の性質を示している。例えばなるべく曲線を避けようとする傾向がある。「いき」な建築として円形の室または円天井(まるてんじょう)を想像することはできない。「いき」な建築は火灯窓(かとうまど)や木瓜窓(もっこうまど)の曲線を好まない。欄間(らんま)としても櫛形(くしがた)よりも角切(かくぎり)を択ぶ。しかしこの点において建築は独立な抽象的な模様よりはやや寛大である。「いき」な建築は円窓(まるまど)と半月窓(はんげつまど)とを許し、また床柱の曲線と下地窓(したじまど)の竹に纏(まと)う藤蔓(ふじづる)の彎曲(わんきょく)とを咎(とが)めない。これはいずれの建築にも自然に伴う直線の強度の剛直に対して緩和を示そうとする理由からであろう。すなわち、抽象的な模様と違って全体のうちに具体的意味をもつからである。
 なお、建築の様式上に表わるる媚態の二元性を理想主義的非現実性の意味に様態化するものには、材料の色彩と採光照明の方法とがある。建築材料の色彩の「いき」は畢竟(ひっきょう)、模様における色彩の「いき」と同じである。すなわち、灰色と茶色と青色の一切のニュアンスが「いき」な建築を支配している。そうして、一方に色彩の上のこの「さび」が存すればこそ、他方に形状として建築が二元性を強く主張することができたのである。もし建築が形状上に二元的対立を強烈に主張し、しかも派手な色彩を愛用するならば、ロシアの室内装飾に見るごとき一種の野暮に陥ってしまうほかはない。採光法、照明法も材料の色彩と同じ精神で働かなければならぬ。四畳半の採光は光線の強烈を求むべきではない。外界よりの光を庇(ひさし)、袖垣(そでがき)、または庭の木立(こだち)で適宜に遮断(しゃだん)することを要する。夜間の照明も強い灯光を用いてはならぬ。この条件に最も適合したものは行灯(あんどん)であった。機械文明は電灯に半透明の硝子(ガラス)を用いるか、或いは間接照明法として反射光線を利用するかによってこの目的を達しようとする。いわゆる「青い灯(ひ)、赤い灯」は必ずしも「いき」の条件には適しない。「いき」な空間に漂う光は「たそや行灯」の淡い色たるを要する。そうして魂の底に沈んで、ほのかに「たが袖」の薫(かおり)を嗅(か)がせなければならぬ。
 要するに、建築上の「いき」は、一方に「いき」の質料因たる二元性を材料の相違と区劃の仕方に示し、他方にその形相因たる非現実的理想性を主として材料の色彩と採光照明の方法とに表わしている。
 建築は凝結した音楽といわれているが、音楽を流動する建築と呼ぶこともできる。しからば自由芸術たる音楽の「いき」はいかなる形において表われているか。まず田辺尚雄(たなべひさお)氏の論文「日本音楽の理論附粋の研究{4}」によれば、音楽上の「いき」は旋律(せんりつ)とリズムの二方面に表われている。旋律の規範としての音階は、わが国には都節(みやこぶし)音階と田舎節(いなかぶし)音階との二種あるが、前者は技巧的音楽のほとんど全部を支配する律旋法として主要のものである。そうして、仮りに平調(ひょうじょう)を以て宮音(きゅうおん)とすれば、都節音階は次のような構造をもっている。
  平調―壱越(いちこつ)(または神仙)―盤渉(ばんしき)―黄鐘(おうしき)―双調(そうじょう)(または勝絶(しょうせつ))―平調
この音階にあって宮音たる平調と、徴音(ちおん)たる盤渉とは、主要なる契機として常に整然たる関係を保持している。それに反して、他の各音は実際にあっては理論と必ずしも一致しない。理論的関係に対して多少の差異を示している。すなわち理想体に対して一定の変位を来たしている。そうして「いき」は正(まさ)にこの変位の或る度合に依存するものであって、変位が小に過ぐれば「上品」の感を生じ、大に過ぐれば「下品」の感を生ずる。たとえば、上行して盤渉より壱越を経て平調に至る旋律にあって、実際上の壱越は理論上の高さよりもやや低いのである。かつその変位の程度は長唄(ながうた)においてはさほど大でないが、清元(きよもと)および歌沢(うたざわ)においては四分の三全音にも及ぶことがあり、野卑な端唄(はうた)などにては一全音を越えることがある。また同じ長唄だけについていえば、物語体のところにはこの変位少なく、「いき」な箇所[#「箇所」は底本では「筒所」と誤記]には変位が大である。そうして変位があまり大に過ぐるときは下品の感を起させる。なおこの関係は、勝絶より黄鐘を経て盤渉に至るときの黄鐘にも、平調より双調を経て黄鐘に至るときの双調にも現われる。また平調より神仙を経て盤渉に至る旋律の下行運動にあっても、神仙の位置に同様の関係が見られる。
 リズムについていえば、伴奏器楽がリズムを明示し、唄(うた)はそれによってリズム性を保有するのであるが、わが国の音楽では多くの場合において唄のリズムと伴奏器楽のリズムとが一致せず、両者間に多少の変位が存在するのである。長唄において「せりふ」に三絃(さんげん)を附したところでは両者のリズムが一致している。その他でも両者のリズムの一致している場合には、多くは単調を感ぜしめる。「いき」な音曲においては変位は多く一リズムの四分の一に近い。
 以上は田辺氏の説であるが、要するに旋律上の「いき」は、音階の理想体の一元的平衡(へいこう)を打破して、変位の形で二元性を措定(そてい)することに存する。二元性の措定によって緊張が生じ、そうしてその緊張が「いき」の質料因たる「色っぽさ」の表現となるのである。また、変位の程度が大に過ぎず四分の三全音くらいで自己に拘束(こうそく)を与えるところに「いき」の形相因が客観化されているのである。リズム上の「いき」も同様で、一方に唄と三絃との一元的平衡を破って二元性が措定され、他方にその変位が一定の度を越えないところに、「いき」の質料因と形相因とが客観的表現を取っているのである。
 なお楽曲の形にも「いき」が一定の条件を備えて現われているように思う。顕著に高い音をもって突如として始まって、下向的進行によって次第に低い音に推移するような楽節が、幾つか繰返された場合は多く「いき」である。例えば歌沢の「新紫(にいむらさき)」のうちの「紫のゆかりに」のところはそういう形をもっている。すなわち、「ムラサキ。ノ。ユカリ。ニ」と四節に分かれて、各節は急突に高い音から始まり、下向的進行をしている。また「音にほだされし縁の糸」のところも同様に「ネニホ。ダ。サレ。シ。エンノ。イト」と六節に分けて見られる。また例えば、清元の「十六夜清心(いざよいせいしん)」のうちの「梅見帰りの船の唄、忍ぶなら忍ぶなら、闇の夜は置かしやんせ」のところも同様の形をもっている。すなわち、「ウメミ。ガヘリノ。フネノウタ。シノブナラ。シノブナラ。ヤミノ。ヨハオカシヤンセ」と七節に分けて考えることができる。そうしてこの場合に、かような楽曲が「いき」の表現であり得る可能性は、一方に各節の起首の高音が先行の低音に対して顕著な色っぽい二元性を示していることと、他方に各節とも下向的進行によって漸消状態のさびしさをもっていることとに懸(かか)っている。また起首の示す二元性と、全節の下向的進行との関係は、あたかも「いき」な模様における、縞柄(しまがら)と、くすんだ色彩との関係のごときものである。
 かくのごとくして、意識現象としての「いき」の客観的表現の芸術形式は、平面的な模様および立体的な建築において空間的発表をなし、無形的な音楽において時間的発表をなしているが、その発表はいずれの場合においても、一方に二元性の措定と、他方にその措定の仕方に伴う一定の性格とを示している。更にまたこの芸術形式と自然形式とを比較するに、両者間にも否(いな)むべからざる一致が存している。そうして、この芸術形式および自然形式は、常に意識現象としての「いき」の客観的表現として理解することができる。すなわち、客観的に見られる二元性措定は意識現象としての「いき」の質料因たる「媚態」に基礎を有し、措定の仕方に伴う一定の性格はその形相因たる「意気地(いきじ)」と「諦(あきら)め」とに基礎をもっている。かくして我々は「いき」の客観的表現を、意識現象としての「いき」に還元し、両存在様態の相互関係を明瞭にするとともに、意味としての「いき」の構造を闡明(せんめい)したと信ずるのである。

 {1}Dessoir, Aesthetik und allgemeine Kunstwissenschaft, 1923, S. 361 参照。
 {2}「美的小」の概念に関しては Lipps, Aesthetik, 1914, I, S. 574 参照。
 {3}米国国旗や理髪店の看板が縞模様でありながら何らの「いき」をももっていないのは、他にも理由があろうが、主として色彩が派手であることに起因している。婦人用の烟管(きせる)の吸口と雁首(がんくび)に附けた金具に、銀と赤銅(しゃくどう)とを用いて、銀白色の帯青灰色との横縞を見せているのがある。形状上では理髪店の看板とほとんど違わないが、色彩の効果によって「いき」な印象を与える。
 {4}『哲学雑誌』、第二十四巻、第二百六十四号所載。

結論

     六 結  論

 「いき」の存在を理解しその構造を闡明(せんめい)するに当って、方法論的考察として予(あらかじ)め意味体験の具体的把握(はあく)を期した。しかし、すべての思索の必然的制約として、概念的分析によるのほかはなかった。しかるに他方において、個人の特殊の体験と同様に民族の特殊の体験は、たとえ一定の意味として成立している場合にも、概念的分析によっては残余なきまで完全に言表されるものではない。具体性に富んだ意味は厳密には悟得の形で味会されるのである。メーヌ・ドゥ・ビランは、生来の盲人に色彩の何たるかを説明すべき方法がないと同様に、生来の不随者として自発的動作をしたことのない者に努力の何たるかを言語をもって悟らしむる方法はないといっている{1}。我々は趣味としての意味体験についてもおそらく一層述語的に同様のことをいい得る。「趣味」はまず体験として「味わう」ことに始まる。我々は文字通りに「味を覚える」。更に、覚えた味を基礎として価値判断を下す。しかし味覚が純粋の味覚である場合はむしろ少ない。「味なもの」とは味覚自身のほかに嗅覚(きゅうかく)によって嗅(か)ぎ分けるところの一種の匂(におい)を暗示する。捉(とら)えがたいほのかなかおりを予想する。のみならず、しばしば触覚も加わっている。味のうちには舌ざわりが含まれている。そうして「さわり」とは心の糸に触れる、言うに言えない動きである。この味覚と嗅覚と触覚とが原本的意味における「体験」を形成する。いわゆる高等感覚は遠官として発達し、物と自己とを分離して、物を客観的に自己に対立させる。かくして聴覚は音の高低を判然と聴き分ける。しかし部音は音色の形を取って簡明な把握に背(そむ)こうとする。視覚にあっても色彩の系統を立てて色調の上から色を分けてゆく。しかし、いかに色と色とを分割してもなお色と色との間には把握しがたい色合(いろあい)が残る。そうして聴覚や視覚にあって、明瞭な把握に漏(も)れる音色や色合を体験として拾得するのが、感覚上の趣味である。一般にいう趣味も感覚上の趣味と同様に、ものの「色合」に関している。すなわち、道徳的および美的評価に際して見られる人格的および民族的色合を趣味というのである。ニイチェは「愛しないものを直ちに呪(のろ)うべきであろうか」と問うて、「それは悪い趣味と思う」と答えている。またそれを「下品」(Pbel-Art)だといっている{2}。我々は趣味が道徳の領域において意義をもつことを疑おうとしない。また芸術の領域にあっても、「色を求むるにはあらず、ただ色合のみ{3}」といったヴェルレエヌとともに我々は趣味としての色合の価値を信ずる。「いき」も畢竟(ひっきょう)、民族的に規定された趣味であった。したがって、「いき」は勝義における sens intime によって味会されなければならない。「いき」を分析して得られた抽象的概念契機は、具体的な「いき」の或る幾つかの方面を指示するに過ぎない。「いき」は個々の概念契機に分析することはできるが、逆に、分析された個々の概念契機をもって「いき」の存在を構成することはできない。「媚態(びたい)」といい、「意気地(いきじ)」といい、「諦(あきら)め」といい、これらの概念は「いき」の部分ではなくて契機に過ぎない。それ故に概念的契機の集合としての「いき」と、意味体験としての「いき」との間には、越えることのできない間隙(かんげき)がある。換言すれば、「いき」の論理的言表の潜勢性と現勢性との間には截然(せつぜん)たる区別がある。我々が分析によって得た幾つかの抽象的概念契機を結合して「いき」の存在を構成し得るように考えるのは、既に意味体験としての「いき」をもっているからである。
 意味体験としての「いき」と、その概念的分析との間にかような乖離的(かいりてき)関係が存するとすれば、「いき」の概念的分析は、意味体験としての「いき」の構造を外部より了得(りょうとく)せしむる場合に、「いき」の存在の把握に適切なる位地と機会とを提供する以外の実際的価値をもち得ないであろう。例えば、日本の文化に対して無知な或る外国人に我々が「いき」の存在の何たるかを説明する場合に、我々は「いき」の概念的分析によって、彼を一定の位置に置く。それを機会として彼は彼自身の「内官」によって「いき」の存在を味得しなければならない。「いき」の存在会得に対して概念的分析は、この意味においては、単に「機会原因」よりほかのものではあり得ない。しかしながら概念的分析の価値は実際的価値に尽きるであろうか。体験さるる意味の論理的言表の潜勢性を現勢性に化せんとする概念的努力は、実際的価値の有無または多少を規矩(きく)とする功利的立場によって評価さるべきはずのものであろうか。否(いな)。意味体験を概念的自覚に導くところに知的存在者の全意義が懸(かか)っている。実際的価値の有無多少は何らの問題でもない。そうして、意味体験と概念的認識との間に不可通約的な不尽性の存することを明らかに意識しつつ、しかもなお論理的言表の現勢化を「課題」として「無窮」に追跡するところに、まさに学の意義は存するのである。「いき」の構造の理解もこの意味において意義をもつことを信ずる。
 しかし、さきにもいったように、「いき」の構造の理解をその客観的表現に基礎附けようとすることは大なる誤謬(ごびゅう)である。「いき」はその客観的表現にあっては必ずしも常に自己の有する一切のニュアンスを表わしているとは限らない。客観化は種々の制約の拘束の下(もと)に成立する。したがって、客観化された「いき」は意識現象としての「いき」の全体をその広さと深さにおいて具現していることは稀(まれ)である。客観的表現は「いき」の象徴に過ぎない。それ故に「いき」の構造は、自然形式または芸術形式のみからは理解できるものではない。その反対に、これらの客観的形式は、個人的もしくは社会的意味体験としての「いき」の意味移入によって初めて生かされ、会得(えとく)されるものである。「いき」の構造を理解する可能性は、客観的表現に接触して quid を問う前に、意識現象のうちに没入して quis を問うことに存している。およそ芸術形式は人性的一般または異性的特殊の存在様態に基づいて理解されなければ真の会得ではない{4}。体験としての存在様態が模様に客観化される例としては、ドイツ民族の有する一種の内的不安が不規則的な模様の形を取って、既に民族移住時代から見られ、更にゴシックおよびバロックの装飾にも顕著な形で現われている事実がある。建築においても体験と芸術形式との関係を否(いな)み得ない。ポール・ヴァレリーの『ユーパリノスあるいは建築家』のうちで、メガラ生れの建築家ユーパリノスは次のようにいっている。「ヘルメスのために私が建てた小さい神殿、直ぐそこの、あの神殿が私にとって何であるかを知ってはいまい。路ゆく者は優美な御堂を見るだけだ――わずかのものだ、四つの柱、きわめて単純な様式――だが私は私の一生のうちの明るい一日の思出をそこに込めた。おお、甘い変身(メタモルフォーズ)よ。誰も知る人はないが、このきゃしゃな神殿は、私が嬉しくも愛した一人のコリントの乙女(おとめ)の数学的形像だ。この神殿は彼女独自の釣合を忠実に現わしているのだ{5}」。音楽においても浪漫(ロマン)派または表現派の名称をもって総括し得る傾向はすべて体験の形式的客観化を目標としている。既にマショオは恋人ペロンヌに向って「私のものはすべて貴女(あなた)の感情でできた」と告げている{6}。またショパンは「ヘ」短調司伴楽の第二楽章の美しいラルジェットがコンスタンチア・グラコウスカに対する自分の感情を旋律化したのであることを自ら語っている{7}。体験の芸術的客観化は必ずしも意識的になされることを必要としない。芸術的衝動は無意識的に働く場合も多い。しかしかかる無意識的創造も体験の客観化にほかならない。すなわち個人的または社会的体験が、無意識的に、しかし自由に形成原理を選択して、自己表現を芸術として完了したのである。自然形式においても同様である。身振(みぶり)その他の自然形式はしばしば無意識のうちに創造される。いずれにしても、「いき」の客観的表現は意識現象としての「いき」に基礎附けて初めて真に理解されるものである。
 なお、客観的表現を出発点として「いき」の構造を闡明(せんめい)しようとする者のほとんど常に陥る欠点がある。すなわち、「いき」の抽象的、形相的理解に止(とどま)って、具体的、解釈的に「いき」の特異なる存在規定を把握するに至らないことである。例えば、「美感を与える対象」としての芸術品の考察に基づいて「粋の感」の説明が試みられる{8}。その結果として、「不快の混入」というごとき極(きわ)めて一般的、抽象的な性質より捉(とら)えられない。したがって「いき」は漠然(ばくぜん)たる raffinのごとき意味となり、一方に「いき」と渋味との区別を立て得ないのみならず、他方に「いき」のうちの民族的色彩が全然把握されない。そうして仮りにもし「いき」がかくのごとき漠然たる意味よりもっていないものとすれば、西洋の芸術のうちにも多くの「いき」を見出すことができるはずである。すなわち「いき」とは「西洋においても日本においても」「現代人の好む」何ものかに過ぎないことになる。しかしながら、例えばコンスタンタン・ギイやドガアやファン・ドンゲンの絵が果して「いき」の有するニュアンスを具有しているであろうか。また、サンサンス、マスネエ、ドゥビュッシイ、リヒアルド・スュトラウスなどの作品中の或る旋律を捉えて厳密なる意味において「いき」と名附け得るであろうか。これらはおそらく肯定的に答えることはできないであろう。既にいったように、この種の現象と「いき」との共通点を形式化的抽象によって見出すことは必ずしも困難ではない。しかしながら、形相的方法を採(と)ることはこの種の文化存在の把握に適した方法論的態度ではない。しかるに客観的表現を出発点として「いき」の闡明を計る者は多くみなかような形相的方法に陥るのである。要するに、「いき」の研究をその客観的表現としての自然形式または芸術形式の理解から始めることは徒労に近い。まず意識現象としての「いき」の意味を民族的具体において解釈的に把握し、しかる後その会得に基づいて自然形式および芸術形式に現われたる客観的表現を妥当に理解することができるのである。一言にしていえば、「いき」の研究は民族的存在の解釈学としてのみ成立し得るのである。
 民族的存在の解釈としての「いき」の研究は、「いき」の民族的特殊性を明らかにするに当って、たまたま西洋芸術の形式のうちにも「いき」が存在するというような発見によって惑わされてはならぬ。客観的表現が「いき」そのものの複雑なる色彩を必ずしも完全に表わし得ないとすれば、「いき」の芸術形式と同一のものをたとえ西洋の芸術中に見出す場合があったとしても、それを直ちに体験としての「いき」の客観的表現と看做(みな)し、西洋文化のうちに「いき」の存在を推定することはできない。またその芸術形式によって我々が事実上「いき」を感じ得る場合が仮りにあったとしても、それは既に民族的色彩を帯びた我々の民族的主観が予想されている。その形式そのものが果して「いき」の客観化であるか否(いな)かは全くの別問題である。問題は畢竟(ひっきょう)、意識現象としての「いき」が西洋文化のうちに存在するか否かに帰着する。しからば意識現象としての「いき」を西洋文化のうちに見出すことができるであろうか。西洋文化の構成契機を商量するときに、この問は否定的の答を期待するよりほかはない。また事実として、たとえばダンディズムと呼ばるる意味は、その具体的なる意識層の全範囲に亙(わた)って果して「いき」と同様の構造を示し、同様の薫(かおり)と同様の色合(いろあい)とをもっているであろうか。ボオドレエルの『悪の華』一巻はしばしば「いき」に近い感情を言表(いいあら)わしている。「空無の味」のうちに「わが心、諦めよ」とか、「恋ははや味わいをもたず」とか、または「讃(ほ)むべき春は薫を失いぬ」などの句がある。これらは諦めの気分を十分に表わしている。また「秋の歌」のうちで「白く灼(や)くる夏を惜しみつつ、黄に柔(やわら)かき秋の光を味わわしめよ」といって人生の秋の黄色い淡い憂愁(ゆうしゅう)を描いている。「沈潜」のうちにも過去を擁する止揚の感情が表わされている。そうして、ボオドレエル自身の説明{9}によれば、「ダンディズムは頽廃期(たいはいき)における英雄主義の最後の光であって……熱がなく、憂愁にみちて、傾く日のように壮美である」。また「lganceの教説」として「一種の宗教」である。かようにダンディズムは「いき」に類似した構造をもっているには相違ない。しかしながら、「シーザーとカティリナとアルキビアデスとが顕著な典型を提供する」もので、ほとんど男性に限り適用される意味内容である。それに反して、「英雄主義」が、か弱い女性、しかも「苦界(くがい)」に身を沈めている女性によってまでも呼吸されているところに「いき」の特彩がある。またニイチェのいう「高貴」とか「距離の熱情」なども一種の「意気地」にほかならない。これらは騎士気質から出たものとして、武士道から出た「意気地」と差別しがたい類似をもっている{10}。しかしながら、一切の肉を独断的に呪(のろ)った基督(キリスト)教の影響の下(もと)に生立(おいた)った西洋文化にあっては、尋常の交渉以外の性的関係は、早くも唯物主義と手を携(たずさ)えて地獄に落ちたのである。その結果として、理想主義を予想する「意気地」が、媚態をその全延長に亙(わた)って霊化して、特殊の存在様態を構成する場合はほとんど見ることができない。「女の許(もと)へ行くか。笞(むち)を忘るるな{11}」とは老婆がツァラトゥストラに与えた勧告であった。なお一歩を譲って、例外的に特殊の個人の体験として西洋の文化にも「いき」が現われている場合があると仮定しても、それは公共圏に民族的意味の形で「いき」が現われていることとは全然意義を異にする。一定の意味として民族的価値をもつ場合には必ず言語の形で通路が開かれていなければならぬ。「いき」に該当する語が西洋にないという事実は、西洋文化にあっては「いき」という意識現象が一定の意味として民族的存在のうちに場所をもっていない証拠である。
 かように意味体験としての「いき」がわが国の民族的存在規定の特殊性の下(もと)に成立するにかかわらず、我々は抽象的、形相的の空虚の世界に堕してしまっている「いき」の幻影に出逢う場合があまりにも多い。そうして、喧(やかま)しい饒舌(じょうぜつ)や空(むな)しい多言は、幻影を実有のごとくに語るのである。しかし、我々はかかる「出来合(できあい)」の類概念によって取交される flatus vocis に迷わされてはならぬ。我々はかかる幻影に出逢った場合、「かつて我々の精神が見たもの{12}」を具体的な如実の姿において想起しなければならぬ。そうして、この想起は、我々をして「いき」が我々のものであることを解釈的に再認識せしめる地平にほかならない。ただし、想起さるべきものはいわゆるプラトン的実在論の主張するがごとき類概念の抽象的一般性ではない。かえって唯名論の唱道する個別的特殊の一種なる民族的特殊性である。この点において、プラトンの認識論の倒逆的転換が敢えてなされなければならぬ。しからばこの意味の想起(アナムネシス)の可能性を何によって繋(つな)ぐことができるか。我々の精神的文化を忘却のうちに葬り去らないことによるよりほかはない。我々の理想主義的非現実的文化に対して熱烈なるエロスをもち続けるよりほかはない。「いき」は武士道の理想主義と仏教の非現実性とに対して不離の内的関係に立っている。運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きる{13}のが「いき」である。人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由に向って悩ましい憧憬(しょうけい)を懐く民族ならずしては媚態をして「いき」の様態を取らしむることはできない。「いき」の核心的意味は、その構造がわが民族存在の自己開示として把握されたときに、十全なる会得と理解とを得たのである。

 {1}Maine de Biran, Essai sur les fondements de la psychologie(Oeuvres indites, Naville, I, p. 208)。
 {2}Nietzsche, Also sprach Zarathustra, Teil IV, Vom hheren Menschen.
 {3}Verlaine, Art potique.
 {4}ベッカー曰(いわ)く「美的なものの存在学は、美的(すなわち、芸術的)に創作する、また美的に享楽する現実存在の分析から展開されなければならぬ」(Oskar Becker, Von der Hinflligkeit des Schnen und der Abenteuerlichkeit des Knstlers; Jahrbuch fr Philosophie und phnomenologische Forschung, Ergnzungsband: Husserl-Festschrift, 1929, S. 40)
 {5}Paul Valry, Eupalinos ou l'architecte, 15e d., p.104.
 {6}Jahrbuch der Musikbibliothek Peters, 1926, S. 67.
 {7}Lettre Titus Woyciechowski, le 3 octobre 1829.
 {8}高橋穣『心理学』改訂版、三二七―三二八頁参照。
 {9}Baudelaire, Le peintre de la vie moderne, IX, Le dandy. なおダンディズムに関しては左の諸書参照。
    Hazlitt, The dandy school, Examiner, 1828.
    Sieveking, Dandysm and Brummell. The Contemporary Review, 1912.
    Otto Mann, Der moderne Dandy, 1925.
 {10}Nietzsche, Jenseits von Gut und Bse, IX, Was ist vornehm? 参照。
 {11}Nietzsche, Also sprach Zarathustra, Teil I, Von alten und jungen Weiblein.
 {12}α ποτ’ ειδεν ημων η ψυχη(Platon, Phaidros 249c).[#最初のαに帯気+鋭アクセント。ειδενのιに平息+曲アクセント。ημωνのηに帯気、ωに曲アクセント。単体のηに帯気。ψυχηのηに鋭アクセント]
 強調はημων[#ηに帯気、ωに曲アクセント]の上に置かれなければならない。ただしαναμνησισ[#最初のαに平息、3文字目のαに鋭アクセント、σはファイナルシグマ]はこの場合二様の意味で自己認識である。第一にはημων[#ηに帯気、ωに曲アクセント]の尖端的強調による民族的自我の自覚である。第二にはψυχη[#ηに鋭アクセント]と「意気」との間に原本的関係が存することに基づいて、自我の理想性が自己認識をすることである。
 {13}「いき」の語源の研究は、生、息、行、意気の関係を存在学的に闡明することと相俟(あいま)ってなされなければならない。「生」が基礎的地平であることはいうまでもない。さて、「生きる」ということには二つの意味がある。第一には生理的に「生きる」ことである。異性的特殊性はそれに基礎附けられている。したがって「いき」の質料因たる「媚態」はこの意味の「生きる」ことから生じている。「息」は「生きる」ための生理的条件である。「春の梅、秋の尾花のもつれ酒、それを小意気に呑(の)みなほす」という場合の「いき」と「息」との関係は単なる音韻上の偶然的関係だけではないであろう。「いきざし」という語形はそのことを証明している。「そのいきざしは、夏の池に、くれなゐのはちす、始めて開けたるにやと見ゆ」という場合の「意気ざし」は、「息ざしもせず窺(うかが)へば」の「息差」から来たものに相違ない。また「行」も「生きる」ことと不離の関係をもっている。ambulo が sum の認識根拠であり得るかをデカルトも論じた。そうして、「意気方」および「心意気」の語形で、「いき」は明瞭に「行(いき)」と発音される。「意気方よし」とは「行きかた善し」にほかならない。また、「好いた殿御へ心意気」「お七さんへの心意気」のように、心意気は「……への心意気」の構造をもって、相手へ「行く」ことを語っている。さて、「息」は「意気ざし」の形で、「行」は「意気方」と「心意気」の形で、いずれも「生きる」ことの第二の意味を予料している。それは精神的に「生きる」ことである。「いき」の形相因たる「意気地」と「諦め」とは、この意味の「生きる」ことに根ざしている。そうして、「息」および「行」は、「意気」の地平に高められたときに、「生」の原本性に帰ったのである。換言すれば、「意気」が原本的意味において「生きる」ことである。